10歳の私は、ヤマギシのはれはれTシャツを皆と一緒に着たかった

ヤマギシ会という団体がどういうものなのかということについては記事の最後に貼るツイートで簡単に言及するとして、彼らがその昔生産していた「はれはれTシャツ」、そしてそれを着たがっていた当時10歳の自分ついて書きます。

そもそも「はれはれ」って何なの?

山田ノジルさんという方が書かれた夏が来れば思い出す、子どもにもあやしく思えた「カルト村」での夏合宿 - wezzy|ウェジーというコラムを読むと、こう書かれています。

・「ハレハレ(晴れのち晴れ、楽しいばかりで嫌なことがないの意)」の世界で、「何でも、誰とでも『ハイ』でやれる」子どもが最高だとされる
(要は素直にコントロールされる子ども最高!ってことですね)


このモットーのようなものをモチーフにしたTシャツを、夏休み明けでしたでしょうか、同級生4人が学校に着てきたのです。赤地に白い太陽。太陽は微笑んでおり、はれはれのロゴの入ったTシャツでした。

布教活動のつもりはまったくない、無邪気な子供達が着るはれはれTシャツ

当時この4人と私の5人で仲良しグループでした。そしてはれはれTシャツを着ていなかったのは、ヤマギシズム楽園村での7泊8日の体験のようなものに参加しなかった私だけ。母親の強い反対にあい、参加できなかったのです。これが10歳の子供にどれだけ辛いことか、想像できますか?
上級生達はこの4人のTシャツを見て馬鹿にして笑いましたが、私はそれでも4人と同じものを着たかった。どうせなら4人から仲間外れにされたほうが気が楽でしたが、彼女達は私を外してくれませんでした。おそろいのTシャツを着ていない私とあえていつものように行動を共にすることで、村で一週間を過ごしたことで得る一体感をより強くしていたように思えました。
「マリアちゃんは可哀そうな子。私達の親はヤマギシの楽園村に送り出してくれたのに、マリアちゃんのお母さんだけはダメって言った。厳しいお母さんを持つと大変だよね」
楽園村に行った4人は布教活動のためにはれはれTシャツを着ていたわけではありません。夏休みに特殊な環境でともに過ごした時間の延長上で、興奮をおさえきれないまま着ていただけなのです。

まさかの色ち買いで続いた憂鬱

彼女達は赤地に白のはれはれTシャツを毎日着て、一週間登校しました。週末を迎えた私は「ああ、これでようやく辛い一週間が終わる」とほっとしました。さすがにもう来週ははれはれTシャツを着てこないだろうと思ったのです。ですから週明けに登校する時は心は軽かったと記憶しています。
ところが月曜日に登校すると、4人の親友達は先週着ていたパターンを反転させたデザインの、白地に赤の太陽&はれはれのロゴTシャツをお揃いで着ていました。4人の姿を見た時の私の気持ちを想像できますか?ああ、また苦しい一週間が始まる。5人グループなのに私だけ普通の洋服を着て「楽園村に行けなかったマリアちゃん」「厳しいママの言うことをちゃんと守るいい子のマリアちゃん」って思われるんだ。
いい子で何が悪い?と思う方もいるでしょうが、思春期が近づいてくると「いい子だね」と褒められることはそれほど喜ばしいものでもなく、むしろ格好悪くすら感じてもおかしくないのです。
帰宅してこの気持ちを母に話しても軽くあしらわれておしまいです。そもそも彼女が私の楽園村への参加を許してくれなかったから、こうして娘の私が苦しんでいるのに。学校に行っても憂鬱だし、かといってど田舎の小学校に通う私には、学校をさぼっても時間をつぶすところなどありませんから、学校に行くしかないのです。こうしてまた憂鬱な一週間が始まり、私は母と口をきくことをやめました。「ママさえ反対しなかったら私は今頃こんな思いをしなくて済んだのに」
こうして私はストライキに入ったのです。

あっけなく終わったストライキ

母とは違い父はとても楽観的で「仲良くしている友達が皆行くのに、どうして行かせてやらないんだ?」とすら言っていましたが、母は断固反対し、その結果娘は一時的に反抗的になったうえ稚拙な(子供だから稚拙であたりまえですが)ストライキに入ったわけです。ところがストライキといっても、母と口をきかないことで損をするのは娘の自分なのです。母は私に口をきいてもらえなくても痛くも痒くもない。
結局このストライキは、母と喋らないことがいかに生活を不便にするかということを受け入れ屈した私の意志ですぐに終わりました。そして母は、秋に栃木県大田原市の農場で行われる二泊三日のイベントに4人とともに参加することを許してくれました。二泊ならそれほど村に染まらずに帰ってくるし、染まったとしても家庭で軌道修正するのは容易だろうと思ったのでしょう。二泊三日の感想は洗脳は、解けなければ幸せだ - マリア様はお見通し という記事に書いてあります(記事中ではヤマギシの名前は出していません)。
私が当時の母の選択と行動に心から感謝し、自分のくだらないストライキを恥じたのは、大人になってからでした。母は自分の娘を洗脳やカルトから守ろうとしていただけだったのです。
10歳の子供を特殊な環境に放り込めば、洗脳までいかずとも、考え方をはじめとする人格形成において大きな影響を受けて取り返しがつかなくなることも十分にありえますし、7泊8日というのはそれが起こるのに十分な時間と言えます。母はそれを恐れていたのです。
仲良し5人グループがヤマギシズム楽園村のイベント(研修?)に行けたのは、5人のうち一人が会員で、その他の4人を紹介する形でした。この会員の女の子が私達や世間と離れ、村人になってしまった時のことはまた別の記事で書きます。

 

車窓から見た短い夏

素晴らしい一冊の本を読み終えてしまいました。
その本の中に書かれていた一部分を読んでふと思い出したのは、私が生まれ育った雪国の短い夏です。
私がまだ小学生だった頃のある年に電車の車窓から見えた日本海側独特の夏の輝きが、その数行を読んで鮮やかに蘇ったのです。すぐ終わってしまうとわかっているから、どことなく寂しく感じてしまうあの輝き。
一冊の書籍を読んだことをきっかけに蘇っているのは、心の中で起きている現象なのか、それとも脳内で起きているものなのかはわかりませんが、日本海に沿って電車で旅したあの30年前の夏休みの楽しさが今でも自分を幸せにするのです。

角田岬灯台


その年の夏休みのある日、仕事中の父を除いた家族で信越本線に乗り、直江津水族館(現在は上越市立水族博物館)を目指しました。幼い頃から地図や電車の路線図を眺めるのが好きだった私は、自分が暮らしていた場所から柏崎あたりまではだいたい駅名を知っていましたが、柏崎から向こうはあまり熱心に覚えていなかったため、未知の世界でした。ですからスタンプラリー目当てで乗車した在来線の旅は、柏崎を越えたあたりでわくわくが大きく増し始めたのです。


「もうすぐ鯨波(くじらなみ)っていう駅につくんだけど、そこの海岸はとてもきれいなのよ。ママ、鯨波の海なら入ってもいいかなぁ」と母が言いました。
私の母は海は汚いから嫌いだし、極度の汗っかきのため夏も大嫌いという人ですから、海水浴となると決まって父、兄、弟そして私の4人だけで出かけたものでした。そのくらい海には近づきたがらない母が「入ってもいい」という海の美しさを一目見たかったのですが、いざ鯨波駅につくとスタンプを押してもらって兄弟三人でわいわいお喋りするのが楽しく、鯨波駅から海が見えたかどうかすら覚えていません。

 

そして鯨波を過ぎてしばらくすると「次は土底浜(どそこはま)」というアナウンスが聴こえてきて、弟が「どそこはまだってー!」と笑いだし、私も兄もつられて笑いだし、今思えば土底浜の語感のどこがそんなに面白いか不思議でしようがないのですが、子供時代とはそんなものでしょう。
そうやってくだらないことで笑いあう子供達に母はまったく無関心で、ぼうっと窓の外を見て嬉しそうにしていました。すぐ隣に座っているのに、別の世界にいるみたいでした。それは幼い私にもよくわかり、「ママはきっと一人でこうやって電車に揺られて知らないところに行ってしまいたいのだろうな」とまだ子供だった私にすら思わせるようなところがありました。彼女は自分が嫁いだあの家からしばらく離れることができるのなら、どこでもよかったのだろうなと私がようやく理解できるようになったのは、社会人になったころだったでしょうか。

 

Shishigahana, Niigata

帰り、私は海を見たくなって、長岡周りの電車に乗った。直江津から柿崎を通り米山まで、電車は迫る日本海を左手に、右の崖にへばりつくように走る。窓の外の、ひたすら静かな夏の日本海に線香花火のような夕日がゆっくりと沈んでいく。

冒頭部分にふれた書籍の一節です。新潟県を舞台にした小説と言えば川端康成の「雪国」が有名ですが、私はあの作品中のどんな描写よりもこのエッセイのこの数行のほうが心に染み入りました。
若さという輝きがなかったら浜に打ち上げられた干物にしか見えない、焼死体の一歩手前みたいなギャルが似合わない日本海の夏。
書籍についてはまた別の記事で紹介します。

関連記事:乗りたいな、と思ったらなくなっていた思い出の特急 - マリア様はお見通し



Wendi Deng Murdoch(7)それほど長く続いたとは思えない二人の蜜月

SoHoにある約864平方メートルの三階建ての豪邸を改装していたため、仮の住まいである愛の巣はMercer Hotelのスイート。それがウェンディとルパートの新婚生活の始まりでした。

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画像はWendi Deng Murdoch's MySpace Problemからお借りしました

ウェンディ色に染まったルパート

新婚当初、「ルパートそのものがウェンディの仕事」とまで言われました。ルパートを幸せにすることが彼女の幸せ。ルパートの最大の味方だったのです。彼女がルパートに対してどれほど影響を与えていたかは、見た目の変貌だけからでもよくわかったといわれます。彼が白髪を染めたり、今まで外出する際はスーツ一辺倒だったワードローブも、ジーンズにタートルネックをあわせて、スニーカーをはくようにもなりました。
またルパートが中国出張に行けば、まず現地の支社の幹部の女性をプライベートジェットに呼び出して、ウェンディから預かったお買い物リストを渡すのです。そこに書かれているものは、世界屈指の国際都市のひとつ、ニューヨークですら手に入らない中国のものばかりでした。美肌効果があるといわれているスープを作るための鳥の巣、キャンディ、薬、そしてちょっとした食べ物。

大富豪であるルパートにここまでさせてしまうウェンディはたいしたものですが、二人の蜜月はそう長くは続いたとは思えません。

ウォールストリートジャーナルに暴露記事が掲載される

1999年に結婚した二人ですが、なんと翌年には自分の学生ビザのスポンサーになってくれたCherry夫妻とその一家を破滅させたウェンディの過去がウォールストリートジャーナルに載ってしまいました。

◆この過去について詳しく書いた記事:Wendi Deng Murdoch(3)残酷なまでに鈍いからこそ辿り着けた場所 - マリア様はお見通し

ルパートとウェンディは圧力をかけてこの記事をなんとかもみ消そうとしたにも関わらず掲載されて、ウェンディはこの記事が出るにあたり相当動揺したそうです。

その上海ガール達から見たらWendiさんは羨望の的です。2011年にBritish Vogueの取材を受けたWendiさんは、自分がCherry家にしたことについてたずねられた際、すべての質問に"Yep."のひとことで答えたそうです。
British Vogueとしては、絶大な権力を持つメディア王のRupert Murdoch氏の妻であるWendiさんに、黒歴史についてインタビューするのは彼女の急所を突くようなものだから、聞きにくさはあったでしょう。だけどWendiさんは黒歴史だとは思っていないのではないでしょうか。とことんドライなんじゃないかな。

(過去記事より抜粋)

2011年にはもうこのようにすっかり開き直っていたウェンディですが、新婚時代ともなると、いくらウェンディとはいえ自分が過去にしたことがルパートにこのような形でばれてしまい、当時ちょうど体外受精を受けていたウェンディにとってかなりダメージは大きかったと思います。
この記事の内容程度のことは、てっきり結婚前にバックグラウンドチェックをしっかりやっていて把握したうえでルパートは結婚したのだろうな、と私は思っていたのですが、なんとマードック一族は知らなかったそうです。そこでこんな暴露記事が出てしまったわけですが、ルパートと息子達は「疑わしきは罰せず」ということでそれ以上追及することはありませんでした。
疑わしき・・・ということは、ウェンディはルパートが最初追求した際否定したということですから、彼女にも否定する程度には羞恥心や罪悪感というものは備わっていて、赤い血が流れているのだなと思いました。
この女性なら僕の優秀な右腕として活躍してくれて一緒に攻めていける!と結婚を急いだルパートですが、もしかすると既にこの結婚翌年の暴露記事で「とんでもない女と結婚してしまったのかもしれないな・・・」と覚悟はできていたのかもしれません。

徐々に本性と欲を出し始めたウェンディ

結婚するまでと新婚時代は「優しい中国人女性」という分厚い猫をかぶっていたウェンディ。子供もいらないと言っていたのです。ルパートは結婚当時既に子供を作るには高齢であったし、ウェンディが子供を作りたがればルパートの遺産争いが泥沼になるのは必至でしたから、自分が欲しいもの=富豪の妻の座を手に入れるまでは控えめにしていたのでしょう。
ところがいざ結婚すると徐々に自分の要求をはっきりと主張するようになったのです。
「子供がほしい」
賢い彼女のことですから、急にあつかましく声を上げ始めたわけではなく、それなりに時間をかけて交渉に持ち込んできました。そして子供ができると、今度はルパートの他の子供達と同等の権利を自分との子供にも与えるように主張するのです。そのため長女グレース、そして次女クロエが産まれたそれぞれの年の翌年に、Post-nuptial agreement(婚前ならぬ婚後?契約書)が交わされています。2002年、2004年の計二回。守るべき財産が大きすぎるルパートが守りに入った証拠です。

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2006年、明らかにウェンディに事前に知らせることなくマードックは:

  1. GraceとChloeは信託として平等な株を受け取るが、株主として議決権は持たないと発表
  2. その後6人の子供すべてに1億5千万ドル(2019年12月現在のレートで約160億)を現金で贈与

しました。また当シリーズの引用元のコラムの筆者であるMark SealはGraceとChloeがそれぞれ30歳になる際にはvoting shares(議決権株式とでも訳しましょうか)が信託によって与えられることになると聞いているそうです。

一方、ウェンディという強力なサポーターを手に入れれば、中国を足掛かりにフィリピン、東南アジア、インド、そして中東のTV放送市場も手に入れられるという野望で盲目になっていたルパートとは違い、前妻のアナはしっかりとしていました。

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アナの内助の功はルパートが財産を築き上げていくうえで欠かせない存在でしたから、彼の莫大な財産をしっかり半分まきあげて離婚することもできたのに、彼女は二、三百億円の慰謝料を受け取り、自分の息子達をマードック帝国の相続人にすることを正式に記すという条件のみで離婚したのです。いずれウェンディが子供を欲しいと言い出すことなど簡単に予想できたからこそ、息子達の権利を守っておきたかったのでしょう。

中国人の賢妻は秘密兵器になれなかった 中国共産党の高い壁

Old vs New China

ルパートがウェンディに惚れ込んだのは、公私ともに強力なパートナーになってくれたから。ITに疎いルパートのために彼の業務時間外のeメールをさばき、News Corp.社が未来を見て変わっていかなくてはならない部分に力を入れ、二人三脚による駆け出しはなかなかスムーズに行ったでしょう。だけど実は彼女が舵取りをした肝心な中国での計画はそれほどうまくいきませんでした。
ルパートが所有するStarTVが西側メディアを歓迎しない中国市場に参入していくにあたり、力強い後ろ盾になってもらおうと、ウェンディは有力者達の子息にとり入ってみたりするのですが逆効果になったり、あるいはかつて勢いのあったSNSである"MySpace"のチャイナ版も、彼女が中心になって売り込んでいく予定だったのに、結局MySpaceの創始者の一人であるChris DeWolfeとの不倫関係が噂になっただけで肝心な戦略はうまくいかなかったりと、この結婚でメリットがあったのはウェンディだけなのでは・・・・?とすら思えてきます。

 そしてマードックという苗字と目もくらむような単位の金、マードックの人脈を手に入れたウェンディが、この結婚生活の中でそれらをどのように利用して、夫との間に溝ができていくのかはシリーズ(8)で書きたいと思います。

Wendi Deng Murdoch(1)彼女がこんなにも気になる理由 - マリア様はお見通し

 Wendi Deng Murdoch(2)大都市・広州で動き出した運命 - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(3)残酷なまでに鈍いからこそ辿り着けた場所 - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(4)不美人がブロークンイングリッシュでオーストラリア人の幹部達をどうやって魅了したのか - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(5)名刺も肩書ももう要らない。最強の苗字を手に入れるまで - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(6)母親の黒歴史が娘達の邪魔をしない理由 - マリア様はお見通し

セルフセラピー ゲランの調香師の力に癒される

もうここ2か月くらいずっと香水が欲しくてしかたがありませんでした。会社の昼休みに携帯で検索するのも香水ばかり。どんな香りを求めているのか自分でもわからないのに。私がこのように新しい香りを欲する時というのは決まって心の中にネガティブなものが沈殿していて、そこから発せられるSOSみたいなものです。とにかくなんだか疲れている。老化現象の一つなのかな。香りに癒されたい。
もともとジバンシイのランテルディを買うために向かったデパート。そこでジバンシイに向かう途中に通りかかったゲランのカウンター前で手渡されたモン ゲラン ブルーム オブ ローズのテスターの香りを嗅いだ瞬間、心が大きく揺さぶられました。

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(画像はゲランの商品ページからお借りしました)

だけどそこでブルーム オブ ローズをすぐには買わず、オードリー・ヘップバーンのために作られた香り、ランテルディの香りをもう一度嗅いでみるためにジバンシイへと向かいました。

ああ、やっぱり好き。高貴だけど温かみがあって甘すぎなくて・・・こんな女友達が欲しい。そんな風に思いましたが、私の足はなぜか再びゲランのカウンターに呼び寄せられるかのように向かいます。

このモン ゲランシリーズには

  1. モン ゲラン
  2. モン ゲラン フローラル
  3. モン ゲラン ブルーム オブ ローズ(テスターを受け取ってこれだ!と思った香り)

の三種類があります。一番いいなと思った香りは3.のブルーム オブ ローズ。

「モン ゲラン ブルーム オブ ローズ」は、女性たちが充実した日々を送る様子を、フルーティで軽やかなブルガリアン ローズと優雅で清々しいネロリで表現。「モン ゲラン」に欠かせないジャスミン サンバックやカーラ ラベンダーに包まれ、生き生きと煌めくローズブーケのようなフレグランスです。

(商品ページから引用)

この商品説明のとおりの香りで、ふわっとローズブーケのように香るのに透明感がある香り。

だけどこれは気持ちというか、バイオリズムが上を向いてきた時につけた方が相乗効果がありそうだったのと、残念ながらこの香りはオードトワレしかありません。パルファンではないのです(涙)。というわけで三種類の中でもちょっと甘めの1.モン ゲランにしました。今の自分の精神状態にはこれが最適というか、しっくりくる。

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甘めといっても甘ったるい香りではなく、ジャスミン、サンダルウッド、ラベンダーが香りの中に作り上げた複雑な層のトップをふっとバニラが香るような甘さ。奥行きがある香り。香調はフレッシュオリエンタルですが、オリエンタルの中でも、フジヤマゲイシャではなく、インドから中近東にかけての、あのエキゾチックなイメージ。
現在このパルファンを買うと同じ香りのキャンドルもついてくるとのことで(ただし数に限りあり)、私も一ついただきました♪この記事もそのキャンドルをつけて書いています。

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癒される・・・。
この香りは時代や流行が変わっても、自分があと10歳くらい歳をとっても飽きの来ない、タイムレスな香り。まさにタトゥーのようになじむ。今もデスクの上に置いてふがふがしながらこの記事を書いています・・・。香りが精神状態に及ぼすよい影響、絶対にあると信じています。
それから同ブランドのリキッドファンデーション、アクアヌードの香りもすごくいい!すみれとローズがベースになっている香りでつけた瞬間うっとりしますが、あの香りは苦手な人もいると思う。

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誇り高き高級娼婦の焦らし方から学ぶ 勝負所で感情をコントロールすることの大切さ


私が「最も印象に残った焦らしのシーンを一つあげろ」と言われたらこの「娼婦ベロニカ」(Dangerous Beauty)の1シーンをあげます。
圧倒的に男性側が優位だった恋愛関係を逆転させたシーンとも言えます。



16世紀のベネチアに実在した高級娼婦のお話です。
身分が釣り合わないため貴族の青年マルコとの結婚がかなわなかったベロニカは、彼への愛を貫くために高級娼婦となって彼のそばにいる道を選びます。国王や貴族を相手にする高級娼婦となれば、身分こそ違うままであれ、彼らの世界に入り込むことができるからです。
若く美しいベロニカは高級娼婦となるべく磨かれて、洗練、教養を身に着けてゆくのです。そしてよくぞここまで垢抜けた!という高級娼婦ベロニカは、瞬く間に地位の高い男達の間で求められるようになり、当然ある日貴族のマルコとも再会します。

Alexandre Francois Xavier Sigalon - The Young Courtesan

(上の画像はベロニカとは関係ありません)

マルコは既に政略結婚済みでしたが、彼がまたベロニカに惚れなおしてしまったのは想像に難くないでしょう。そして彼女の心がまだ自分のものだと信じて疑わなかったマルコは、ベロニカに口づけしようとするのです。
この日の、この瞬間のために高級娼婦の道を選んだベロニカ。どれだけ口づけたかったことでしょう。だけど彼女は唇が触れ合う寸前ですっと彼の誘惑をかわしてしまうのです。そしてマルコに何か囁くのですが(セリフは忘れてしまいました)、この時の焦らし方が素晴らしいのです。魅惑的なのに愛らしくて。
「身分が違いすぎるから結婚できないってあなたに言われた時、私がどれだけ傷ついたかわかる?出自のように自分じゃどうにもできないことが理由で捨てられた私の気持ちなんて貴族のあなたにはわかるわけないわ!」
こんな気持ちに蓋をせずに、怒りとそして彼へのあきらめきれない恋心にまかせて熱い口づけを交わしていたら、もうそこでおしまいだったでしょう。だけど彼女はそこでぐっとこらえて、高級娼婦の美しさ、誇り高さと風格でマルコを骨抜きにしてしまうのです。
男と女の関係だけではなく、生きていると勝負所が必ずやってきます。そこで感情的になってすべてを台無しにしてしまうか、あるいはその感情に自分を支配されることなく、主導権を握ることができるか。
勝負所だけではありません。日頃から「あの時感情的になりすぎてあんなことを言わなければ今頃は・・・」と思うような場面はたくさんあるはずです。それが積み重なり、自分が思っているよりもずっと深い溝を掘ってしまうかもしれません。


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