素晴らしい一冊の本を読み終えてしまいました。
その本の中に書かれていた一部分を読んでふと思い出したのは、私が生まれ育った雪国の短い夏です。
私がまだ小学生だった頃のある年に電車の車窓から見えた日本海側独特の夏の輝きが、その数行を読んで鮮やかに蘇ったのです。すぐ終わってしまうとわかっているから、どことなく寂しく感じてしまうあの輝き。
一冊の書籍を読んだことをきっかけに蘇っているのは、心の中で起きている現象なのか、それとも脳内で起きているものなのかはわかりませんが、日本海に沿って電車で旅したあの30年前の夏休みの楽しさが今でも自分を幸せにするのです。
その年の夏休みのある日、仕事中の父を除いた家族で信越本線に乗り、直江津水族館(現在は上越市立水族博物館)を目指しました。幼い頃から地図や電車の路線図を眺めるのが好きだった私は、自分が暮らしていた場所から柏崎あたりまではだいたい駅名を知っていましたが、柏崎から向こうはあまり熱心に覚えていなかったため、未知の世界でした。ですからスタンプラリー目当てで乗車した在来線の旅は、柏崎を越えたあたりでわくわくが大きく増し始めたのです。
「もうすぐ鯨波(くじらなみ)っていう駅につくんだけど、そこの海岸はとてもきれいなのよ。ママ、鯨波の海なら入ってもいいかなぁ」と母が言いました。
私の母は海は汚いから嫌いだし、極度の汗っかきのため夏も大嫌いという人ですから、海水浴となると決まって父、兄、弟そして私の4人だけで出かけたものでした。そのくらい海には近づきたがらない母が「入ってもいい」という海の美しさを一目見たかったのですが、いざ鯨波駅につくとスタンプを押してもらって兄弟三人でわいわいお喋りするのが楽しく、鯨波駅から海が見えたかどうかすら覚えていません。
#115系 #115系N38編成 #湘南色 #西鯨波海岸 #日本海 pic.twitter.com/4Xv6Q6PQUi
— おっさん (@AADB8181) 2018年7月15日
そして鯨波を過ぎてしばらくすると「次は土底浜(どそこはま)」というアナウンスが聴こえてきて、弟が「どそこはまだってー!」と笑いだし、私も兄もつられて笑いだし、今思えば土底浜の語感のどこがそんなに面白いか不思議でしようがないのですが、子供時代とはそんなものでしょう。
そうやってくだらないことで笑いあう子供達に母はまったく無関心で、ぼうっと窓の外を見て嬉しそうにしていました。すぐ隣に座っているのに、別の世界にいるみたいでした。それは幼い私にもよくわかり、「ママはきっと一人でこうやって電車に揺られて知らないところに行ってしまいたいのだろうな」とまだ子供だった私にすら思わせるようなところがありました。彼女は自分が嫁いだあの家からしばらく離れることができるのなら、どこでもよかったのだろうなと私がようやく理解できるようになったのは、社会人になったころだったでしょうか。
帰り、私は海を見たくなって、長岡周りの電車に乗った。直江津から柿崎を通り米山まで、電車は迫る日本海を左手に、右の崖にへばりつくように走る。窓の外の、ひたすら静かな夏の日本海に線香花火のような夕日がゆっくりと沈んでいく。
冒頭部分にふれた書籍の一節です。新潟県を舞台にした小説と言えば川端康成の「雪国」が有名ですが、私はあの作品中のどんな描写よりもこのエッセイのこの数行のほうが心に染み入りました。
若さという輝きがなかったら浜に打ち上げられた干物にしか見えない、焼死体の一歩手前みたいなギャルが似合わない日本海の夏。
書籍についてはまた別の記事で紹介します。
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