乗りたいな、と思ったらなくなっていた思い出の特急


あれは忘れもしない中学三年生の冬のことです。
母と二人で大阪・京都の旅に出ることになりました。私は当然新幹線の旅になるとばかり思っていたのですが、出発当日の朝、父は新幹線停車駅ではなく、在来線しか停まらない最寄りの駅に私達二人を降ろしました。え?何?どういうこと?

「せっかくだから特急を乗り継いで行きましょう。冬の日本海を眺めてのんびりとね。駅弁だって日本海側の方が美味しいんだから」

ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!!中学生の私は、明るい太平洋側を走る新幹線に乗りたかったのです。旅行の時くらいは、灰色の空も日本海も、見たくありませんでした。

糸魚川駅


夏の日本海は短い夏の貴重な輝きを放っているようで好きだけど、冬は勘弁してほしかった。とにかく太陽が恋しかったし。厳しい冬から離れられるはずの束の間の幸せな旅の始まりはこんな感じでした。


特急の車窓から見えるのは、荒波の日本海です。そして特急が通過していく駅名を、動体視力の悪い私が目を凝らしてみていると、なぜか見覚えのある駅名ばかりでした。
それもそのはずです。その路線は、私達兄弟が幼い頃、夏になると母が私達を水族館に連れて行ってくれた時に乗った路線だからです。
思い出づくりにと、水族館に行くついでにその路線のスタンプラリーに兄、弟とそして私を参加させてくれた母。車で行けば楽なところを、うるさいガキを三人連れて電車に長時間乗るのは、さぞ疲れたと思います。一人でふらっと途中下車して、身軽になりたいなぁと何度も思ったことでしょう。

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あの水族館に行かなくなってもう何年経つだろうなどと考えていたら、日本海側を特急で旅するのも悪くないなぁなどと思えてきました。だけどやはり冬の日本海は暗く、寂しい。見ていて気が滅入りましたが、そういうところで生活をしている人がいるのだと思うと、すごいなぁと思ったのです。特に親不知(おやしらず、と読む)あたり。あそこらへんで婚活とか不可能じゃないかと思うんですよ。若い男女の人口が少なすぎて。あれじゃ若者は出て行ってしまうでしょう。
富山も通過しましたが、ほとんど記憶に残っていません。携帯電話もタブレットもない当時、特急の中で私は暇つぶしに何をしてよいのかわかりませんでしたが、母はその暇という幸せをかみしめていたようでした。小京都・金沢に到着した時も長時間座っているためお尻が痛いと思ったくらいで、母が熱心に金沢のことについて語っていても、何も耳に入ってきませんでした。

そしてやっと大阪に到着すると、空の明るさに感動しました。こんな世界もあるのかぁ、と。自分と同じくらいの年代の子達がすごく垢抜けて見えて、そして彼らの着ている服の色使いのけばけばしさは、日本海とそれを覆う空の暗さに慣れ切っていた私の目にはとても眩しく写りました。ピンクにしてみても、甘さや優しさではなく、どぎつさが好まれる感じですね。

久しぶりにこの思い出の特急乗りたいなぁと母に話したら「あら、もう走ってないわよ」と言われてしまいました。


ラストランの車内放送を聞いて寂しくなりましたが、YouTubeのありがたみを実感しています。アップロードしてくださった方、ありがとうございます。雷鳥、そして長田車掌、お疲れ様でした。

2019年3月追記
特急を乗り継いで冬の日本海を眺めながらの長旅はもう実現しませんが、北陸新幹線の長野ー金沢間延伸の際に並行在来線として経営分離された区間の一つである日本海ひすいラインであれば、ゆっくりと窓の外に広がる日本海を楽しむことができます。その路線の駅には北陸新幹線が停車する糸魚川駅も含まれていますので、東京からならちょっとメランコリックな日本海沿岸の景色を日帰りでも楽しめます。

電車の旅といえば、このブログ→ デンシャと、京都と  (山陰本線完全制覇の旅、私もいつかはしてみるぞ!)