日本の梅雨~初夏に纏いたい香り

 

「もうすぐ雨が降りそう」と匂いでわかる時がありますよね。
湿った空気がアスファルトに触れてそこから匂いたつものが鼻の先をかすめ、そして雨が降る。そんな季節がもうすぐやってきます。

青空が恋しくなる連日の雨、そしてじめじめした空気。
梅雨が近づく気配を感じると、香水を切り替えたくなるのは毎年のことですが、湿度の高さを考えると今使っているような甘いものは控えたくなります。
ぱっと閃いてそのまま脳裏にこびりついて離れないのが、朝露に濡れた緑のような爽やかさや、ウリ科の植物の青臭い清涼感のある香り。

Rain Drops

となると必然的にランコムやディオール、イヴ・サン・ローランは候補から消えます。
今年はこの時季に楽しみたい香りを買うにあたり、以下の四か所を回って選びました。そごう横浜店に行ったよ。

 

1.ゲラン アクアアレゴリア ココナッツフィズ

 

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 (画像は同ブランドの公式サイトからお借りしました)

アクアアレゴリア。このシリーズはパルファムではなくトワレで、10種類の香りがありますが、6月1日発売のココナッツフィズという香りが素晴らしかったです。
ココナッツと聞くと甘ったるい香りを思い浮かべるでしょう?ところがこのココナッツフィズは最初にココナッツの香りがしたと思うと、次の瞬間にちょっと青臭さが入り混じったような爽やかな香りが漂うのです。もはや香りのマジックです。これは梅雨~真夏にぴったり。発売したら絶対に買いに行きます。ゲラン様、恐れ入りました!!!
アクアアレゴリアシリーズですが、この二分の一のサイズがあったら、4種類くらい買ってその日の気分に合わせて香りを楽しみつつ、蒸し暑い夏の終わりまでに使い切って日本の酷暑にさよならを告げることができたのになぁと思います。


2.エスティーローダー プレジャーズ

これは透明感を香水にしたような・・・・。

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(画像は同ブランドの公式サイトからお借りしました)

誰にでも似合いそうな、かといって無個性というわけでもない、とてもいい香り。老若男女問わずウケそうな香りです。だけどこれといって季節感がなくて通年使える感じだったのと、香りを嗅いだ瞬間にまったく気分が高揚しなかったのでパス。

 

3.PENHALIGON'S(ペンハリガン)BLASTED BLOOM/HEATH

世界的人気ブランドのフレグランスの正規輸入代理店であるブルーベル・ジャパンが運営するフレグランスのセレクトショップのようなお店、ラトリエ・デ・パルファム。そこで取り扱われているブランドの一つであるPENHALIGON'SのBLASTED BLOOM(ブラステッド・ブルーム)とBLASTED HEATH(ブラステッド・ヒース)香りの青さがすごい。

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青い香りってどんな香りと言われそうなのですが、メンズ寄りで爽やか。店員さんが「どんな香りを試してみたいですか?」と聞いてきたので、「森の香りです」と伝えると、すすめてくれたのがこのブラステッドの二種。
もともとは理容店だったという背景を聞くとなんだか納得してしまうこのブランドの香り。ブラステッド・ブルームは春の訪れを彷彿とさせる香り。爽やかなので梅雨時でも使えます。ブラステッド・ヒースはとてもシャープですっきりとしています。ブルームとペアで使うそうです。夫にすすめてみようかな・・・。
同ブランドの「ルナ」というトワレは100mlで23,700円と高価ですが、香りこそトライイしなかったものの、ボトルもネーミングも素敵でストイックに神秘を追及した感じで、絶対にはずれなしの予感・・・・♪

4.イッセイミヤケ ロードゥイッセイ ピュア ネクター ドゥ パルファム

2019年の梅雨、夏をともに過ごしてくれる香りは、既に紹介したココナッツフィズとこれに決定です。
イッセイミヤケのフレグランスで甘めの香りは初めての試みではないでしょうか。

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これもPENHALIGON'S同様にラトリエ・デ・パルファム取り扱いブランドの一つ。
ピュアな香りとその崇高さを体現するかのようなシンプルなデザインにこだわり続けるイッセイミヤケがフェミニンを表現するとこんな風になるのです。

このブランドのフレグランスを初めて使ったのは19歳の時で、「世界で最も美しく最もピュアなフレグランス。それは、純粋で透明感のある水の香り。」と言われるロードゥイッセイ オーデトワレでした。それ以来その唯一無二の香りは私のバスルームから姿を消したことは一度もありませんが、今回買ったのはパルファムで、ピュア ネクターという香り。
イッセイミヤケのフレグランスシリーズの特徴である透明感はそのままに、瑞々しい果実の香りが心地よいのですが、何の香りだろうと思ったら洋梨なのです。だけど甘すぎず、そして時間が経ってくるとサンダルウッドが主張し始めて、この爽やかさなら梅雨時~真夏にもぴったり。


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北陸新幹線に乗って日本一海に近い新幹線駅「糸魚川」へ

 

北陸新幹線を糸魚川(いといがわ、と読みます)で途中下車し・・・というと、まるで糸魚川は最終目的地=メインアトラクションにはなりえなくて、北陸新幹線は金沢へ人を運ぶためだけに作られたみたいに聞こえますが、やはり糸魚川は地味だなぁと思いました。だけどその地味なところになんともいえない旅情を感じてしまうのが魅力的です。

 

北陸新幹線の車窓から見える景色

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終着駅が金沢というだけあって、新幹線からの眺めを売りにしているのかと思っていましたが、こんな風に海が見えてきたのは糸魚川駅の直前です。あとはほとんどトンネルで、車窓から見える景色は同じようにトンネルばかりでも上越新幹線の方がもっと壮大です。復路は上越新幹線に乗りましたので、また別の記事でご紹介します。

新幹線が停車するようになって様変わりした糸魚川駅

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北陸新幹線が開通し糸魚川駅に停車するようになったのは平成27年。その前の様子を知らないのでどこがどう変わったのかもわかりませんが、きれいに整備されていて糸魚川を拠点に観光しやすいという印象です。
糸魚川がヒスイの産地としてアピールしていこうというのは糸魚川駅構内を歩いていてもわかりましたが、今回は楽しみにしていた「日本海ひすいライン」への乗り換えまであまり時間がないため、ひすいに関連するものはチェックせず海への散歩にとどめました。上の画像は日本海口です。その日本海口から出てみましょう。

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駅を出た瞬間、さびれた商店街の向こう側に地平線が見えるような気がしたのは、日本一海に近い新幹線駅という予備知識のせいかもしれませんが、海が近いだけあって開放感がすごい。糸魚川市大規模火災の被害にあったのもこの日本海口=駅の北側ですが、焼けた部分はもう少し離れたところにあるようで、復興の様子を見ることはできませんでした。
そして少し歩くと虹をモチーフにした公園のようなものが見えてきました。

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この虹は冬の日本海側の暗い空とどのようにコラボレートするのか興味がわいてきました。冬になったらまた見に来たい、とこの時は思いました。ええ、この時はね・・・・。
虹のように見えたのは展望台でした。

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日本海口から徒歩5分の展望台から眺める日本海

展望台の目の前を走っているのは国道8号線です。地下道を通って展望台へと向かいます。

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そして辿り着いた展望台はあまりにもシンプルで、そこがまたいいなぁと思いました。

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(展望台から長岡方面を望む)

春の日本海を眺めて脚に震えがきたのは、展望台の高さが理由ではないでしょう。それほど高くないし。ただ高くないわりに、そこに立つと眼前には日本海が広がっており、何の障害物もなく見えてしまう分怖気づいてしまうのです。日本海の荒波に飲み込まれてしまいそうで。
柵はあまり高くなくてすぐ下はテトラポット。落ちたらよくて重傷、運が悪ければ死亡。だけど震えが来たのは、冬の日本海とはまったく違う表情ながらも、手荒い歓待で私達夫婦を試すかのような雰囲気のせい。
感傷的な冬の日本海の景色とはまったく正反対なのに、それでもなんだかぼうっと見てはいられない、歌手のプロモーションビデオの真似ごとを冗談でしてみる気にもならない、身震いしてしまう雰囲気。画像と文章で伝えきれないのが残念です。

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(富山方面を望む)

春の海の爽やかさ、そして短い夏を迎える準備ができた海が大喜びしているような高揚感をはらんだ波がざっぱーん、ざっぱーんと押し寄せてきます。

車窓から見た短い夏 - マリア様はお見通しという記事に、Peri様からこんなコメントをいただいたのをふと思い出しました。

日本海の美しさは太平洋のそれと全く違いますよね。色が緑味を帯びていて波が荒い。浜辺にいる人も少なく、厳かという言葉がピッタリ合う。

春の日本海もやはり緑を帯びていて、深い深い青でした。こんな海で生きている海洋生物が不味いわけないだろうと思わせる青。
冬にまた戻ってきてこの展望台からあの荒れたメランコリックな日本海を眺めたいかというと、まずあの展望台が雪で覆われて凍り付いていたら恐ろしくて登る気になりません。春ですら「落ちたらどうしよう」と怖かったのですから。でも安全なようであれば、肝試し的に冬の日本海もあの展望台から眺めたいですね。

外国人観光客にも日本海沿岸の旅情を感じてほしい

8号線の下を通る地下通路では、糸魚川周辺の観光名所が英訳付きで紹介されています。

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裏日本と呼ばれるほど地味な日本海側ですが、こうして観光客を迎える準備はできています。
親不知(おやしらず)はこんな風に英語で描写するのかぁと勉強になりました。

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親不知は外国人観光客にも訪れてほしいです。景観以外は本当に何もないところだけど、あの暗く、時代から完全に取り残されたような、あの寂しげな景観はこれからも保たれるであろうと思われる場所です。

www.itoigawa-kanko.net

おっとそろそろ日本海ひすいラインに乗る時間ですから駅に戻らなくてはなりません。

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糸魚川駅北側にある奴奈川姫(ぬなかわひめ)の石像。古事記では沼河比売と記されているそうです。この石像は素通りできないオーラを発していました。ただの石ではなく、命が宿っているような感じがするのです。じっと見られているような・・・・。
日本海ひすいラインについてはまた別の記事で書きます>>日本海ひすいラインからの眺め - マリア様はお見通し

自然な艶が出るゲランのファンデ「ルソンシエル」

3月にゲランで香水を買った時、ちょうどファンデーションがなくなったのでそれも一緒に買ったのですが記事にするのを忘れていました。購入したのはその美しさが16時間持続するといわれているルソンシエル

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(ひつじのぬいぐるみはふかわりょうさんから送られてきたものです。うふ)

若返りメイクに最適

ナチュラルグロウを売りにしているだけあって、確かに自然な艶が出て薄づきなので塗った!という感じはしません。このいかにも塗りましたという感じは女性を老けて見せますから、若返りメイクにはおすすめです。
目の下はコンシーラーを薄く伸ばしなるべく自然にカバーし、残りはこのファンデをさっと塗るといいと思います。にこっとすると頬の一番高くなる部分からこめかみにかけてYSLのルミエルディヴァイン、あるいはゲランのメテオリットビーユを大きなブラシでさっと乗せて光を味方につけてもいいですね。
のびがいいので3月上旬から使い始めてまだ半分以上残っています(私は薄く伸ばしてつけるのが好きなので個人差はあるでしょう)。それから画像に乗っている同ブランドのブラシは6200円でしたが、これは買ってよかった!
BAさんが私の手の甲にやさしくこのブラシを滑らせた瞬間、もう逆らえなくなって買ってしまったのですが、このファンデを活かすにはこのブラシは必須!ドラッグストアで売っているスポンジで代用しようなどと思わないで~。
そして顔汗がひどい私の肌にあわなかったのがメテオリットバーズという下地。

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パールピンクの玉、実は最初見た時ただのデコレーションだと思っていたので、こりゃまた随分内容量が少ない下地だなぁーそれで9500円か・・・・と思い込んだのですが、一枚目の画像に映っているバーズと上の画像のバーズを比べていただくとわかるように、使っていくうちに液体だけでなく、玉も減っています。ポンプをプッシュする度に、このパールピンクの玉も吸い上げられて、玉がつぶれてその中の成分が手の平に溶け出す仕組みです。
ファンデと比べて随分減りが早いのには理由があります。私は顔に汗をかきやすく、極端な混合肌でTゾーンのてかりがすごいのです。ですから下地はわりときっちり叩き込みたいので、ファンデーションに比べて多めに使います。
だけど朝8時につけて午後の1時にはもうTゾーンがてかってべたついていたので(しかもTゾーンはパウダーでおさえてある)、テカリをおさえるのであればエスプリークのビューティフル・ステイ メイクアップベースの方がよいと思いました。私のような体質・肌質の人には。

 


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デヴィ夫人のシンデレラストーリーの裏側

デヴィ夫人の新著「選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論」を読んだ感想です。率直に言うと筆者が知りたいことはほとんど書かれていませんでしたし、婚活本としては普通にコンサバでお金を出してまで読まなくてもwith onlineで読み切っていいのではないかと思いました。気になっていた「スカルノ大統領との結婚は本当にシンデレラストーリーなのか?」ということについてさらっと書かれていたので、それに関して思ったことを書きます。

赤貧を洗うがごとしの幼少時代ー失明した父親、脚の悪い母

デヴィ夫人は根本七保子さんとして、現在の西麻布である港区霞町に生まれました。彼女の美しさは幼少の頃からとびぬけており、近所の兵舎に住んでいた米兵達がジープに乗ってお菓子を配る時は、やはり可愛い七保子さんがまず目に飛び込んでくるせいか、彼女にだけはたくさんチョコレートなどが飛んできたため、次の横丁でも大人達が七保子さんを使ってアメリカのお菓子を少しでも多く手に入れていたそうです。これだけ可愛い女の子なら、小学校に上がってもちやほやされたことだろうといいたいところですが、先生達が特別扱いしたのは「特別に可愛い私」であった七保子さんではなく、お金持ちの子供達。この現実に七保子さんはショックを受けました。
戦時中に飲んだメチルアルコールが原因で視力を失った父、脚の悪い母のもとで育った七保子さんは、幼少時代を「貧しくとも逞しい少女時代」と回想しています。

16歳で一家の大黒柱になる

中学生になるとそれほど勉強しなくても学力テストではいつもトップクラスの成績を維持していた七保子さん。周囲は当然彼女が当然高校に進学するものだと思っていましたが、七保子さんは家族を支えるために就職し、定時制の高校(のちに中退)に進学することにしました。そして16歳の時に父親が他界し、七保子さんが一家の大黒柱になりました。
家庭の台所事情が理由で皆と同じように全日制の高校に進学できずにお気の毒に、という目で七保子さんを見ていた周囲に対し、七保子さんはあっけらかんと「これで自分の人生を生きられる」と思ったそうです。この時進学して学業に専念していたら、自分の人生はまったく違ったものになっていただろうとデヴィ夫人は語っていますが、まさにここを分岐点としてインドネシア大統領の第三夫人への道がのびていたのでしょう。

現代ならありえないであろうシンデレラストーリー

「第二章 大統領との運命の恋」とありますが、私がこのシンデレラストーリーが現代ならありえないと思うのは、それが人身売買と同じことなのではないかと思うからです。
デヴィ夫人がスカルノ大統領に見初められた当時、まだ19歳で高級クラブ「コパカバーナ」のホステスとして働いていました。顧客の多くが外国人の富裕層で、在籍していた女性達は外国人のVIP達の接客をするために選ばれた美女で、英語も流ちょうだったそうです。
美人が簡単に作り出せるようになった現代に比べると、美女が希少であった時代です。その中から一国の大統領への貢ぎ物として選ばれるくらいですから、夫人の美しさは際立っていたのです。それは本書にも掲載されている夫人の若い頃の数々の写真を見てもよくわかります。

話をお二人の出会いに戻すと、本書では「運命の赤い糸の前兆」とあるのですが、これはもうものはいいようとしか言えません。当時19歳だったデヴィ夫人をスカルノ大統領に紹介したのが「東日貿易」という商社の社長をしていた久保正雄という男性でした。
この東日貿易は政府の戦後賠償の事業を請け負っていたそうですから、インドネシアに対しても賠償をしなくてはならなかったのでしょう。
当時デヴィ夫人はコパカバーナで外国人の富豪達からプロポーズを受ける日々を送っていました。だけど美女とはいえ歳をとります。端役しか与えられない、開花するかどうかもわからない女優業、ホステスとしての寿命・・・・自分はこのままでよいのか?そう思っていた時に久保氏から「紹介したい人がいる」と言われ、なぜか彼の言葉に自分の人生をかけてみようと思った夫人。
久保氏に映画に誘われたものの、待ち合わせの帝国ホテルのグリルの入り口に久保氏は現れず、目の前を通りかかった軍服の要人のお供の一人がやってきて「ミスター久保は仕事のミーティングが長引いております。上でお茶会をやっていますのであなたもいらしてください」と言い出したのです。そして案内された部屋に行ってみると、奥のソファに先ほど見かけた軍服の要人=スカルノ大統領が座っていたのです。
スカルノ大統領は当時58歳。19歳の美女を自分のハーレムに入れる前に品定めするために帝国ホテルにおびき寄せたのか、あるいはコパカバーナで見かけて既に目を付けており、正式に輸入する前に商社である東日貿易を通そうと思ったのかはわかりませんが、今の時代ならもうこのように一国の要人が国際ロリ婚するとは思えません。
そして実はこの顔合わせの前に既にデヴィ夫人はコパカバーナを辞めているのです。ここがおかしいと思いました。
男性を紹介されるだけなら、コパカバーナでの仕事を続けるでしょう。久保氏がデヴィ夫人に紹介の話をした時、19歳の美女に率直に「大人の事情ならぬお国の事情で君にインドネシアの大統領の愛人になってほしい」と伝えたのではないでしょうか。だからデヴィ夫人はコパカバーナを辞めたと思うのです。

色を好む英雄のもとに嫁いだデヴィ夫人

インドネシアに渡った頃はまだ愛人という立場だったデヴィ夫人。当時既にスカルノ大統領は三回離婚していました。現在wikipediaを見ると第一、二夫人に続いて第三夫人のところにはデヴィさんのお名前、そして続いて「以下多数」と書かれていることからもわかるように、デヴィ夫人と結婚した後に3回結婚しています。まさに英雄色を好むといったところです。それでも夫人は、カリスマ的で雄弁な一国の国家元首に選ばれて幸せでした。貧しい家庭に生まれ辛酸をさんざんなめてきた美少女にとって、一国の大統領に嫁ぐことで周囲を見返したかったのかもしれません。
当時デヴィ夫人は母親と弟も自分の力で高級マンションに住まわせ、お金にはもう困っていませんでしたから、インドネシアに渡ってスカルノの愛人になることで相当の報酬を提示されたとしても、それほど魅力を感じなかったと思うのです。デヴィ夫人が欲しかったものはお金ではなく、少女時代に貧しいというだけ味わった屈辱に決別できるだけのステイタスだったのではないでしょうか。

本書を読んで物足りないと思った点

私がこの本を読んで残念に思ったことは、美しさだけでは到底渡り歩いていけない、亡命先であるフランスを中心としたヨーロッパの社交界で彼女を支えた知性と教養の源については触れられていなかったこと。ロスチャイルド夫妻が顔を出すような場でも見かけられたくらいですよ(ロスチャイルド夫人の写真にデヴィ夫人も映っていた)。
これらを手に入れるために、いくら地頭がよい夫人とはいえ人知れず相当努力をされたのだと思うのです。その努力については触れられていなかったのが残念でしたが、婚活本には必要のない情報ですものね。それは回想記を読めば書かれているのでしょう。
デヴィ夫人が「何度も読んだ」と大昔にTV放送で触れたモーパッサン著「女の一生」は私も読みました。


それから「わたくしはこんなハイスペックな男達と戯れた/愛された」「わたくしの場合、男性に求める条件は名誉、地位、収入、教養、ルックス、そしてセックス」「わたくしは・・・・」「わたくしは・・・・」と実際に目の前で聞いたら食傷気味になってしまいそうなお話も、彼女の美しさなら納得せざるを得ないものでした。普通の女が同じ話をしたら顰蹙を買うことでしょう。ただ自慢話の部分はもう少し知的に見えるように編集してあげたらよかったのではないかと思いました。激動の昭和を生き抜いた美女の本なのに、近代・現代日本史を彩った女達 - マリア様はお見通しで紹介した書籍と違い、再び読み返してみたくなる魅力が感じられませんでした。


選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論



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「村人になりたい」といった親友と、彼女の幸せを願うことができなかった私




私が初めてヤマギシズム楽園村に滞在した年の翌年になると、仲良しグループ5人のうちヤマギシ会の会員だったFちゃん以外は楽園村から遠ざかりました。
早起きをして鶏舎で作業をすること、よく噛まずに食べること、なんでもにこにこ「はい!」と応じること、よく知らない人達との共同生活に、すぐに飽きてしまったというよりは、自分達には無理だと思ったのです。煩悩だらけの俗世間の方が幸せだとしみじみ思いました。
ロールモデルとして憧れ、そして正直に言うとちょっと疎ましく思っていたFちゃんが俗世間を捨てて楽園村の村人になると言い出したのは、それから数年たった晩秋のある夜のことでした。

Moonlight


私達は中学生になっており、その夜私は学習塾に行き母親がいつものように車で迎えに来ました。そして農道を走っていると母が急に速度を落としはじめ、母は「あれ、Fちゃんじゃない?」と言って指さしました。見覚えのある学校指定のジャージの上にコートを着ないで歩く、すらっとした長身の女の子は、Fちゃんのようにも見えました。雪国の晩秋の夜の冷え込み方を考えると、ジャージ一枚で歩いているのは何か事情がありそうでした。強い衝動にかられ、家を飛び出したのではないか。
母は車を停めて、私に窓からそのジャージ姿の女の子に声をかけるように言いました。

「Fちゃん?」

その女の子は一瞬びくっとして、窓から顔を出す私を見ました。私もその子の顔をよく見てみると、母の言うとおりFちゃんでした。泣きはらした顔でした。私は車から降りてFちゃんに一緒に車に乗るように話しましたが、最初は乗りたがりませんでした。
「マリアちゃんのお母さんの車に乗ったら、どうせうちに送り返すんでしょ?!」
ただごとではないと察した母は、とにかくまずは車に乗って、皆でうちに帰って温かいココアでも飲みましょうと言いました。
うちに三人で帰って私の部屋に上がってもFちゃんは泣き止みませんでした。
「ココア作るから、ちょっと待っててね」
石油ヒーターであっという間に暖まった部屋にFちゃんを残して、私はキッチンにおりました。もう少し彼女をそっとしておいた方がよいような気がして、キッチンで少し時間をつぶしました。部屋に戻るとFちゃんに「もう暗いのに、あんなところで一人で歩いていたら危ないじゃん」と言いました。すると彼女はなぜ一人で行くあてもなく歩いていたのか話し出しました。
「中学を卒業したらヤマギシ会の村に住んで、村人として生きていきたい」と言ったら、Fちゃんと同様に会員であるお母様に大反対されたからです。そして激しい言い合いになり、家を飛び出してしまったのです。私はFちゃんが中学生になってもヤマギシ会のメンバーとしてそれなりに活発であったことに驚きました。お互いに部活や勉強で忙しくなり、小学生の時のように多くの時間を過ごすことはできなくとも、お互いのことをよく知っているような気でいた私にはまさに寝耳に水だったのです。
そして次に感じたことが「正気なのか?」ということ。Fちゃんは才色兼備でしたから、彼女の頭脳があれば県下一の進学校にだって進めたはずなのです。なのに村人になろうというの?
だけど彼女が県下一の進学校に進んだとしてもきっとそこで彼女は自分の置かれた環境と透けて見える自分の未来に疑問を持ち、結局最終的には村を選んだのではないかとも心のどこかで思いました。
一般的な秀才とかクラスのマドンナといった言葉では表現しきれないのがFちゃん。
美人で頭もいい。テストの点数云々を超越したレベルで賢かったし、隠れファンだという男性生徒は大勢いました。表立ってFちゃんに告白する人数が少なかったのは、彼女が高嶺の花だったから。
モテても同性に嫌われなかったのは、あまりにも別格だったから嫉妬の対象にならなかったというのも理由の一つですが、誰に対しても同じように接し、自分の意見を言える子だったから。相手によって態度を変えるとか、そういうことをまったくしない子でした。教師に対してすら意見することはあったけど、それは別に自分が賢く見られたいとか、「教師に対してもものおじしない私」に見せたいからではなく、彼女はおかしいと感じたことはおかしいとはっきりいう子だったのです。またどこか浮世離れした存在でした。
そんなFちゃんが目的意識も意欲もなく「とりあえず入っておけば将来あなたを支えてくれるから」というだけで進学校に進んでも、どこかでそのレールを自ら降りてしまうであろうことは想像できました。
だったら村人になればいい。人には犯さなければその先に進めない過ちもある。親友だったら距離なんて関係ない。いつまでも互いの心の中に小さいながらも居場所を持つことができるだろう。
そう自分に言い聞かせたのに、やはり私は彼女の幸せを願えませんでした。私の近くにいてほしかった。なぜなら私は高校生になって門限が少し遅くなったら「皆とは別格のFちゃん」と遊びに行きたいところがたくさんありました。きっと彼女はもっと魅力的な女性になると思っていたし、自分が生きる上での指標としてFちゃんの背中を見続けていないと不安だったのかな。だから近くにいてもらわなくては困りました。
でもそのように無理をして互いの近くにいても、結局会わなくなっていくのだろうと、心のどこかで認めていました。友人なり恋人なり、人間関係というものは二人の魅力のつり合いがとれないとすぐに傾いてしまい、うまくいかないものだし(私達の場合、Fちゃんが圧倒的に魅力的だった)、彼女と私の精神は属する世界があまりにも違いすぎたのですから。
下世話なことが大好きな普通の女子中学生の私と、もはや変人ともいえるほど頭がよく、誰にも破壊されないバブルのような精神世界の中に生きていたFちゃん。

ココアを飲みながら村の話をして30分もするとFちゃんのお母様が迎えに来ました。
Fちゃんはその翌年、村人になってしまいました。しばらくなんのやりとりもありませんでしたが、高校2年生の時に連絡が来て一度だけ会いました。
「地元には何度か帰ってきていたけど、誰とも会いたくなくてマリアちゃんにも連絡しなかった」
私はこうして私はFちゃんの人生から徐々に自分が消えていくのだと思うと少し悲しかったです。ちょっとぎこちなく交わす会話の中でFちゃんがこういいました。
「幸せって、(ヤマギシの)村の人達だけが考える幸せだけじゃないと思う。色々な形の幸せがあっていいと思うのに、村の人達は他の形を認めようとしない」
地元でも村でも居場所が見つけられないFちゃんは幸せそうではありませんでした。そしてFちゃんはしばらくすると村を去ったのです。
それからも時々Fちゃんはどうしているのだろうと思うことはありました。
もしも彼女がちゃんと大学まで出ていたら、どんな仕事に就いていたかなぁとか、どんな男性を選んだのかなぁとか。だけど誰もがうらやむ仕事や男性、いわゆるハイスペックといわれるものを手に入れることにこだわるFちゃんを想像できませんでした。

30代前半になって、彼女が一度だけ会いに来てくれました。
たまたま機嫌がよかった神様が気まぐれで創り出した造形美のような顔立ちは変わらず、そして一番驚いたのは、我が家の最寄り駅で彼女を待っていた私が彼女を人ごみの中に見つけだした速さです。15年以上会っていないのですから、彼女がいかに美しいとはいえそう簡単にはわからないだろうと思っていました。だけど彼女の周りだけ違う空気が漂うような、精霊みたいなオーラは相変わらずで、私にとって「別格のFちゃん」がそこにいました。

Fちゃんの記事を今から5年半前に書いていたことを思い出しました。

>>携帯電話がなくても心がつながっていたあの頃 - マリア様はお見通し