デヴィ夫人のシンデレラストーリーの裏側

デヴィ夫人の新著「選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論」を読んだ感想です。率直に言うと筆者が知りたいことはほとんど書かれていませんでしたし、婚活本としては普通にコンサバでお金を出してまで読まなくてもwith onlineで読み切っていいのではないかと思いました。気になっていた「スカルノ大統領との結婚は本当にシンデレラストーリーなのか?」ということについてさらっと書かれていたので、それに関して思ったことを書きます。

赤貧を洗うがごとしの幼少時代ー失明した父親、脚の悪い母

デヴィ夫人は根本七保子さんとして、現在の西麻布である港区霞町に生まれました。彼女の美しさは幼少の頃からとびぬけており、近所の兵舎に住んでいた米兵達がジープに乗ってお菓子を配る時は、やはり可愛い七保子さんがまず目に飛び込んでくるせいか、彼女にだけはたくさんチョコレートなどが飛んできたため、次の横丁でも大人達が七保子さんを使ってアメリカのお菓子を少しでも多く手に入れていたそうです。これだけ可愛い女の子なら、小学校に上がってもちやほやされたことだろうといいたいところですが、先生達が特別扱いしたのは「特別に可愛い私」であった七保子さんではなく、お金持ちの子供達。この現実に七保子さんはショックを受けました。
戦時中に飲んだメチルアルコールが原因で視力を失った父、脚の悪い母のもとで育った七保子さんは、幼少時代を「貧しくとも逞しい少女時代」と回想しています。

16歳で一家の大黒柱になる

中学生になるとそれほど勉強しなくても学力テストではいつもトップクラスの成績を維持していた七保子さん。周囲は当然彼女が当然高校に進学するものだと思っていましたが、七保子さんは家族を支えるために就職し、定時制の高校(のちに中退)に進学することにしました。そして16歳の時に父親が他界し、七保子さんが一家の大黒柱になりました。
家庭の台所事情が理由で皆と同じように全日制の高校に進学できずにお気の毒に、という目で七保子さんを見ていた周囲に対し、七保子さんはあっけらかんと「これで自分の人生を生きられる」と思ったそうです。この時進学して学業に専念していたら、自分の人生はまったく違ったものになっていただろうとデヴィ夫人は語っていますが、まさにここを分岐点としてインドネシア大統領の第三夫人への道がのびていたのでしょう。

現代ならありえないであろうシンデレラストーリー

「第二章 大統領との運命の恋」とありますが、私がこのシンデレラストーリーが現代ならありえないと思うのは、それが人身売買と同じことなのではないかと思うからです。
デヴィ夫人がスカルノ大統領に見初められた当時、まだ19歳で高級クラブ「コパカバーナ」のホステスとして働いていました。顧客の多くが外国人の富裕層で、在籍していた女性達は外国人のVIP達の接客をするために選ばれた美女で、英語も流ちょうだったそうです。
美人が簡単に作り出せるようになった現代に比べると、美女が希少であった時代です。その中から一国の大統領への貢ぎ物として選ばれるくらいですから、夫人の美しさは際立っていたのです。それは本書にも掲載されている夫人の若い頃の数々の写真を見てもよくわかります。

話をお二人の出会いに戻すと、本書では「運命の赤い糸の前兆」とあるのですが、これはもうものはいいようとしか言えません。当時19歳だったデヴィ夫人をスカルノ大統領に紹介したのが「東日貿易」という商社の社長をしていた久保正雄という男性でした。
この東日貿易は政府の戦後賠償の事業を請け負っていたそうですから、インドネシアに対しても賠償をしなくてはならなかったのでしょう。
当時デヴィ夫人はコパカバーナで外国人の富豪達からプロポーズを受ける日々を送っていました。だけど美女とはいえ歳をとります。端役しか与えられない、開花するかどうかもわからない女優業、ホステスとしての寿命・・・・自分はこのままでよいのか?そう思っていた時に久保氏から「紹介したい人がいる」と言われ、なぜか彼の言葉に自分の人生をかけてみようと思った夫人。
久保氏に映画に誘われたものの、待ち合わせの帝国ホテルのグリルの入り口に久保氏は現れず、目の前を通りかかった軍服の要人のお供の一人がやってきて「ミスター久保は仕事のミーティングが長引いております。上でお茶会をやっていますのであなたもいらしてください」と言い出したのです。そして案内された部屋に行ってみると、奥のソファに先ほど見かけた軍服の要人=スカルノ大統領が座っていたのです。
スカルノ大統領は当時58歳。19歳の美女を自分のハーレムに入れる前に品定めするために帝国ホテルにおびき寄せたのか、あるいはコパカバーナで見かけて既に目を付けており、正式に輸入する前に商社である東日貿易を通そうと思ったのかはわかりませんが、今の時代ならもうこのように一国の要人が国際ロリ婚するとは思えません。
そして実はこの顔合わせの前に既にデヴィ夫人はコパカバーナを辞めているのです。ここがおかしいと思いました。
男性を紹介されるだけなら、コパカバーナでの仕事を続けるでしょう。久保氏がデヴィ夫人に紹介の話をした時、19歳の美女に率直に「大人の事情ならぬお国の事情で君にインドネシアの大統領の愛人になってほしい」と伝えたのではないでしょうか。だからデヴィ夫人はコパカバーナを辞めたと思うのです。

色を好む英雄のもとに嫁いだデヴィ夫人

インドネシアに渡った頃はまだ愛人という立場だったデヴィ夫人。当時既にスカルノ大統領は三回離婚していました。現在wikipediaを見ると第一、二夫人に続いて第三夫人のところにはデヴィさんのお名前、そして続いて「以下多数」と書かれていることからもわかるように、デヴィ夫人と結婚した後に3回結婚しています。まさに英雄色を好むといったところです。それでも夫人は、カリスマ的で雄弁な一国の国家元首に選ばれて幸せでした。貧しい家庭に生まれ辛酸をさんざんなめてきた美少女にとって、一国の大統領に嫁ぐことで周囲を見返したかったのかもしれません。
当時デヴィ夫人は母親と弟も自分の力で高級マンションに住まわせ、お金にはもう困っていませんでしたから、インドネシアに渡ってスカルノの愛人になることで相当の報酬を提示されたとしても、それほど魅力を感じなかったと思うのです。デヴィ夫人が欲しかったものはお金ではなく、少女時代に貧しいというだけ味わった屈辱に決別できるだけのステイタスだったのではないでしょうか。

本書を読んで物足りないと思った点

私がこの本を読んで残念に思ったことは、美しさだけでは到底渡り歩いていけない、亡命先であるフランスを中心としたヨーロッパの社交界で彼女を支えた知性と教養の源については触れられていなかったこと。ロスチャイルド夫妻が顔を出すような場でも見かけられたくらいですよ(ロスチャイルド夫人の写真にデヴィ夫人も映っていた)。
これらを手に入れるために、いくら地頭がよい夫人とはいえ人知れず相当努力をされたのだと思うのです。その努力については触れられていなかったのが残念でしたが、婚活本には必要のない情報ですものね。それは回想記を読めば書かれているのでしょう。
デヴィ夫人が「何度も読んだ」と大昔にTV放送で触れたモーパッサン著「女の一生」は私も読みました。


それから「わたくしはこんなハイスペックな男達と戯れた/愛された」「わたくしの場合、男性に求める条件は名誉、地位、収入、教養、ルックス、そしてセックス」「わたくしは・・・・」「わたくしは・・・・」と実際に目の前で聞いたら食傷気味になってしまいそうなお話も、彼女の美しさなら納得せざるを得ないものでした。普通の女が同じ話をしたら顰蹙を買うことでしょう。ただ自慢話の部分はもう少し知的に見えるように編集してあげたらよかったのではないかと思いました。激動の昭和を生き抜いた美女の本なのに、近代・現代日本史を彩った女達 - マリア様はお見通しで紹介した書籍と違い、再び読み返してみたくなる魅力が感じられませんでした。


選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論



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