会社の飲み会は時々顔を出しておいた方が仕事がやりやすくなる(2)

会社の飲み会に参加するとどっと疲れる人は多いと思います。私もそうでした。

なぜ疲れるかというと、たいして面白くもない、どちらかといえばくだらない話につきあわされ、たいして飲みたくもない酒を飲み、しかもお金まで払わされるから!!!です。貴重な時間もも金も奪われる会社の飲み会。だけど会社の飲み会に時々顔を出すべき理由は、まさにその”くだらない話”にありました。

"くだらない話"という名の潤滑油

飲み会で無意味な会話ができるというのは、親しさの表れなんですね。雑談には、強いネットワーク特有の窮屈さをゆるめ、コミュニケーションを円滑にする役割があります。 つまり、飲み会にも役割はあるのです。だから飲み会は「業務」だとわりきって参加した方がいいのです。
辞める前に読む!今日から使える職場の深層心理 "社飲は業務。戦略的に活用すべし"より転載

太字にした部分はかつて「飲ミニケーション」とも言われましたね。

izakaya

私は飲み会でコミュニケーションはとれるかどうかは別として、仕事中には絶対にわからない同僚の一面を見る機会として、会社の飲み会っていいと思うんですよ。そういう一面を知ることでその人と仕事がやりやすくなるってことはあるはずなんです。
この人はこういう漫画が好きなのかぁとか、日曜日は午前2時に起きて沖釣りに行ってるのか、とか知っていると、職場での無機質で事務的なやりとりを少しオーガニックなものにできるからです。
それに仕事中ってそれこそ分刻みでみんなが動いている時があるでしょう?イライラしながら「あーそれ今私のところに持ってこないでーーー!!!無理ですから!」などと思いながらみんなが仕事しているわけです。
そういう誰もが殺気立っているような環境を離れて、くだらない話をしてみるのも悪くはないですよ。お酒や美味しい食事の力を借りて「あとから必ずもとはとる!」というノリで業務として割り切って参加するのもいいじゃないですか。たまにはね

エネルギーを奪われないように座る位置は考えよう

業務と割り切参加する飲み会とはいえ、必要以上にエネルギーを浪費したくありません。私は「こういう人は絶対嫌」というのもはっきりしていましたので、席順は気にしましたよ。くだらない話につきあうからといって脳みそを弛緩させているわけではないのです。逆に脳みそを使っているんですよ(涙)。だからこそエネルギーはそっちに集中させて、苦手なタイプの人に奪われたくないのです。

私が避けていたタイプは

  1. 自己愛が強い人
  2. 負の感情を垂れ流しにする人

の2タイプです。それ以外はまったく気になりませんでした。
1.の自己愛が強い人ですが、例えば現在だとフェイスブックがその人の写真集みたいになっているような人っていうのかな。わかります?自分のステイタスだから何を投稿しようとその人の自由なのですが、主役を引き立てられない人は絶対に嫌でした。

2.の負の感情を垂れ流しにする人。これはわかりやすいでしょうね。あなたの周りにもいるのではないでしょうか。口を開けばネガティブなことしか出てこない人。
「眠い」「疲れがとれない」「○○が痛い」が挨拶代わりで(暇つぶしのために病院に集う老人みたいですよね)そこから始まる負のスパイラル・・・。
なんとなく参加している風に見せることのできる"くだらない話"とは違って、聞いているだけで疲れる話はシャットアウトするのが一番です。

関連記事:会社の飲み会は時々顔を出しておいた方が仕事がやりやすくなる - マリア様はお見通し

若者の不倫よりも、分別のある大人の不倫の方が恐ろしい

 

運命の女という映画をご存知でしょうか?

これを見て、若者の不倫よりも分別のある大人の不倫の方が危ないなぁと思いました。先日東京都立川市で起きた不倫のもつれが原因による殺人事件のように、友人の夫と不倫をしていることを友人に暴露して、二人を修羅場に陥れることを望むというどす黒い部分は誰の心の中にも存在します。
だけどそういう風に他人の不幸という蜜の味をまったく必要とせず、「欲しいのはあなただけ」となってしまう場合、しかもそれが分別のある大人の場合、不倫は恐ろしい結末になるのだなぁとこの映画を見て思いました。

【要注意】結末を含むネタバレあり

裕福な夫、可愛い子供、大きな庭付きの家、そして魅力的な愛人。女はすべてを守り続けることができるのか

ダイアン・レイン演じる美しい専業主婦コニーは、夫エド(リチャード・ギア)と一人息子チャーリーと緑豊かなニューヨーク郊外で静かに、心穏やかに暮らしていました。
経営者エドがもたらし、コニーが支える、その何不自由ない満たされた生活に、ある日突然吹き込んだ突風をきっかけに、運命が破滅に向かって大きく動き出します。不倫をしていた本人だけでなく、その夫の人生も、子供の人生も変わってしまうのです。
映画の冒頭部分はエドとの事務的な会話を、チャーリーに歯磨きをさせながら話半分に聞くコニーといった家族の様子で、毎日が緩やかに流れていく、いかにも安定した幸せな家庭像がうまく描かれているなぁと思いました。突風の日からゆっくりと、そしてある日を境に真っ逆さまに落ちていくことなど誰も想像ができません。
この家庭像の中に自分がいる間は「何の変哲もない、ちょっと物足りない毎日」と感じるでしょう。だけどこの日々を築き上げ、続けていけることがいかに素晴らしいことだったのかは、失ってからではないとわからないのです。壊れてからではないとわからないものの価値もあるのです。


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同世代としてはつっこまずにはいられない良妻賢母が晒す痛々しさ

風の強い日に出会った体の知れないハンサムなフランス人、ポール(オリヴィエ・マルティネス)というフランス人。
「うちに上がって。バンドエイドあげるから」
そういわれてもポールの部屋にあがるのをためらったコニーの警戒心を解いたのは、得ポールの屈託のない笑顔と冗談でした。
突風で傷ついたコニーの膝の手当てをしてタクシーに乗せてくれたポール。そのことをただ単にその日あったこととして夫に話すコニー。
「お礼にワインでも持っていったらいい。安いワインでいいから」
そしてあの日出会い、惹かれてしまった青年に再び出会う口実を手に入れたコニーは、お礼を抱えてポールの暮らすSoHoに向かいます。そしてその日はポールの魅力と誘惑に打ち克って、彼のアパートを去ります。だけどこの時既にポールは彼女が彼に惹かれていることなど見抜いてしまっています。
自分が追わなくても戻ってくるだろう。そんな余裕さえ感じられますし、貞淑な人妻ですら自分の魅力にはかなわないという自信もうかがえます。だからこそあんな笑顔を見せてくれるのですから。

「だめよ。こんなこと私にはできないわ・・・・」
「これはあやまちよ」
「どうしたらいいのかわからないの」

と言いつつのこのこポールのアパートを訪ねてくる時点で、実はやる気満々じゃないの、とコニーに対して痛々しさを感じてしまいました。だけどこの痛々しさがこの映画には不可欠なのです。危ないとわかっていても、飛び込まずにはいられない罠を見てしまったら、人間としてこういう風に行動してしまうのはもうどうしようもありません。

ざわつき始めた夫の心

「自分は本来こういうことをする人間ではない」というコニーの自己申告通り、やはり彼女は脇が甘いというか良くも悪くも純粋でわかりやすい。

すぐにばれる嘘をつく。

下着や洋服、靴まで新調してしまう。妻、母としての装いではなく、女としてのワードローブの新調。
情事におぼれてしまって、子供とお手伝いさんのお迎えの時間なのにポールの家で寝過ごしてしまう。

当然夫のエドは妻のこんな変化に気が付きます。彼女の嘘だってすぐにばれます。矛盾に気づきますからね。「自分は火遊びのやりかたなんて知らない」と言った彼女の言葉に嘘はありませんでした。だからこそ周りの人間まで傷つけることになるのです。
だけどコニーとポールの情事はどんどん燃え上がり、コーヒーショップのトイレや映画館でまで求め合うようになります。

中年の狂い咲きの怖さ、そして家族を犠牲にしてまで惚れた男の実態

「朝目覚めると、あなたのことしか考えられない。私の心の中にはあなたのことしかないの。目を開ける前にもうあなたのことが頭の中にある。あなたに会えない日は気持ちが不安定になって、ありとあらゆる理由を見つけては(マンハッタンまで)出て行ってしまう」

母、妻として毎日を穏やかに、幸せに生きてきたコニーの中の女が、久しぶりに目を覚ましてしまい、コニー本人も手をつけられなくなっているのです。こんな風に揺れるコニーに対し、ポールにとって彼女は遊び相手でしかありません。彼の手の平で転がされるコニーは、常軌を逸した行動をとり始めます。
そしてポールが死んだ後、コニーは彼が既婚者であることを知りショックを隠せません。そんな男が死んだ後も、彼と出会い、恋に落ちて、情欲に耽った日々の思い出に浸るコニー。完全に惚れたもんの負けです。
分別のある大人が本気になってしまうと怖いなと思ったし、恋が人間に与える力の大きさと恐ろしさがこの映画を見ているとよくわかります。破滅への序曲はとても静かに始まるのに、これはとんでもないことになるなと思わずにはいられないのです。

運命の女 (字幕版)

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  • エイドリアン・ライン
  • スリラー
  • ¥1000

エドからの贈り物をあっさりとポールにあげてしまうコニー。その贈り物の中には、エドの愛がこめられていたことも知らずに・・・。そしてその隠されていた愛の存在を知った時、彼女は自分が犯した罪の重さを知るのです。

最後のシーンが好きです。自首したのかな、それともメキシコに逃げ切るのかな・・・。警察の前に停まったまま動き出せない彼らの車。
私は自首したと思います。可愛い息子のために。

分別のある大人の恋、そして破滅といえばこの映画もおすすめします。

ダメージ(Blu-ray Disc)

汗が流れ落ちても立ち上がれないほど漫画本を読みふけった夏


筆者が小学生の頃だったと思います。整理整頓が苦手な母の持ち物は、寝室の押入れに納まりきらなくなり、廊下にあふれ出てしまいました。その中に古ぼけた漫画本が含まれていました。「生徒諸君!」という漫画でした。それを初めて見た時は興味を引かれなかったのですが、休むということに飽きてしまった夏休みのある日、廊下に座りその漫画本を手に取り読み始めました。するとあっという間にはまってしまい、その場から動けなくなったのです。
冷房のついている涼しい部屋で読み続ければいいのに、いちいち立ち上がることもで きないほどでした。そして廊下に座ったまま、汗を垂らしながら読みました。静かな午後で、聞こえてくるのは短い人生を謳歌するかのように鳴く蝉の声だけで した。

Лето, лес // Summertime

ですから今でも漫画本を読むと、あの夏の日を思い出し、童心に帰ることができます。だけど大人になってから漫画を貪るように読むことの幸せは、少し違うのです。なぜなら「時が経つのを忘れるほど何かに夢中になる」ということ貴重さは、子供の時にはわからなかったのですから。それができることがあたりまえのことだと思っていました。
歳をとるのは悪いことばかりではありませんね。

 

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夜カフェしてまで静かに語り合いたい相手に求めるもの

重度のかまってちゃん(30代だからかまってさんの方がいいかな)に久しぶりにつかまりかけてから、時間の価値について考える日々が続いています。自分が彼女のために無駄にした時間を振り返ると同時に、どうやったら自分が他の誰かと過ごす時間を、その人にとっても自分にとってもよりよいものにできるかなんていうことを考えているのです。

一時期マスメディアが夜カフェを流行らせようと仕掛けたことがありましたよね。実際に流行ったのかどうかはわかりませんが、私はあらゆるメディアがこぞって夜カフェについてとりあげている頃、こう思ったものです。

「夜カフェしてまで静かに語り合いたい人って、自分にはいるのだろうか」

 

Cafe Royal at night

ディナーよりもハードルが高い

例えば三年くらい会っていなかった大親友と会うとしましょう。あなたはとっておきのレストランを予約します。雰囲気も良くて、お料理も美味しい。接客もつかずはなれずで心地よいそんなお店で再会。お料理も美味しくて会話も弾みます。そしてついついアルコールも気がつけばワインボトルが2本くらい空いていた・・・とかありますよね。
そんな風に、ディナーだと会話はある瞬間には最高のご馳走になり、またある時はおつまみになってくれます。
だけど夜カフェだと会話が全てになるじゃないですか。「何時間あっても語り足りないよね」といえる人となら楽しいですよ。いつもなら熟睡している時間に起きて、おしゃべりを楽しんでいるということだけで既に刺激的です。
女子トークというものにまったく興味がない私にとって、バカ話から相続税の話まで一緒に楽しめるような、何を話していても共鳴し合う、止まらない相手・・・。

気が合うだけではだめ。バイオリズムが偶然一致していることも重要

お互い頑張らなくても、自然と話が盛り上がる。そういう相手が理想ですよね。

 

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こういう文章を書く人は、私の中でまず消去法で真っ先に消されます。お互いに相当頑張らないと、話を合わせられないだろうから。そんなにエネルギー浪費してまで話したい相手ではありません。

じゃあ話していて楽しい人って、私にとってどんな人だろう。会話をキャッチボールに例えると、どんな球が返ってくるかわからない恐ろしい人で、こちらをどきどきわくわくぎょっ!とさせてくれる人。確かにこういう人と話していると、宇宙人と交信しているような錯覚に陥って楽しいといえば楽しいのですが、精神状態を中心としたバイオリズムがそういうものをよしとする状態じゃない時(精神的に疲れている時、人の幸せを喜べる余裕が自分にない時など)に宇宙人相手だと、疲れるしもてあましちゃうしで、楽しめません。それはもったいない。
だから相手との相性だけではなく、その時の自分と相手の精神状態が似通っているというのも大切です。お互いエネルギー補給を必要とするくらい疲れているのか、それともエネルギーに満ち溢れているから与え合いたいのか、など。

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時給をいくらもらったらかまってちゃんの相手をやれるか考えてみた

かまってちゃんは不治の病 - マリア様はお見通しという記事の続きです。

このかまってちゃんが再び凝りもせずに誘ってきたら、思い切ってこう切り出してみようと考えてみました。

 

「ごめんね、ただでは無理。時給¥○○○○でどうかな?」


私は自分にとって大切な友人の悩み事なら、何時間でも聞くことができます。なぜなら私にとって大切な友人であるということは、私の力になってくれている人なのですから。

癒してくれたり、活力を与えてくれたり・・・・。このかまってちゃんのように奪っていくだけの人(関連記事:与え合える人、奪っていくだけの人 - マリア様はお見通し)の場合、関係としては対等ではありませんし、もはや彼女の話を聞くのは苦痛でしかありませんから、私を指名する限り指名料はいただこうと思ったのです。

3000円/hで食事代・交通費は別、でどうか。

Fortune Telling

この時給は別に「ハケンの品格」の大前春子さんを意識したわけではありません。

「時給で考えているからいつまでも貧乏なんですよ」とイケダハヤト先生の声が聞こえてきそうですが、自分の貴重な時間を売るのですからどうしても時給計算してしまいますよ。
で、出た答えが時給3000円(食事代・交通費は別)なら、ちゃんと聞いてあげられると思いました。それに有料なら彼女も一時間以上ぐだぐだ話そうと思わないでしょうし、こちらも「心の栄養にならない、聞いていてばかばかしい、あるいはむしろ心が磨り減るような話を聞かされたな・・・」と思っても、その対価として3000円/hなら納得が行くかな、と思いました。
ただ1時間あればブログの記事が2本は書けます。調子がよければ3本。そしたらそれらの記事が継続的な収入を得る記事になる可能性もありますので、ブロガーとしては時給3000円でのこのこ出て行く価値もないかなぁとも思うのです。

お金を払ってもいい。っていうかお金を払っても会ってもらえるとも限らないけど、お会いしてお話をしてみたい人リスト

アマゾンのほしい物リストを見られるのと同じくらい照れますな。だけどこのリスト上の人達と私とでは、もう完全に不釣合いなのです。あちらにとって私はどこの馬の骨かもわからず、しかも話し甲斐のないつまらない人なのです。お互いに「一度ゆっくり話してみたいね!」という相思相愛の関係ではないのです。
だったらお金を払って相手をしてもらうしかない。人間的魅力が釣り合わないから、オファーできるものが金しかない状態なのです。しかもそんなに出せません・・・。

この方達とのランチの権利がオークションに出品されても、手も足もでない私ですが、夢を見るだけなら、その夢がどんなに大きくてもただなのです!
とはいえ、やはり「会って話してみたい」と思う人間同士が一番いいんですよね。お金で買った時間を共に過ごすことができても、結局「会ってもらっている」ところから抜け出せない。膨らませることも、濃厚にすることも出来ないのです。

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