オンとオフの切り替え 日単位、週単位のどちらにするか

このツイートを読んで、共感される方は多いのではないでしょうか。


たった一時間でも遅く起きることができるのも、休日の幸せの一つです。
遅く起きて始める洗濯。洗ったものを干している時、少し離れているマンションを眺める余裕があるのも楽しいです。「ああ、あのマンションはもうほとんどの世帯が洗濯物が干されているのに、あそこのマンションはまだ洗濯物が出ていない。単身世帯が多いのかな」なんて、仕事がある日は考えている暇はありません。
こんな風にオフの状態を自分で感じることができることが大事だと思うのです。

Tea


体で感じやすい人、心で感じやすい人、脳で感じやすい人、人それぞれでしょう。ですから菓な子さんのように「休日=ゆっくり寝ていられる」と体でオフのサインを感じたい人は、週の残りに慢性的な寝不足や疲労を感じても、それはそれでリズムが出来上がっているのです。
また休日をぼうっと過ごすことで休日を無駄にしてしまったと感じる人も多いと思いますが、ぼうっとすることで心をリセットしているはずなので、それはそれでとても大切なことです。活動的に過ごすことでリセットできる人もいれば、家でごろごろする方が心が軽くなる人もいる。
こんな風にして皆オンとオフの切り替えをしています。日々小さく切り替える人、普段は糸を張り詰めたままにして、休日になると一気に緩める人。自分の性格や生活のパターンにあっているリズムでオンとオフを切り替えて、大爆発しないようにしましょう!

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久しぶりに行って改めて感じたドトールのよさ

というわけで行ってきました!
美味しかったです。実は思っていたほどパリパリしていないなと思ったのですが、それを差し引いても美味しい。

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フォークを刺した瞬間、期待しちゃいましたよ。確かにその時は「おっ、チョコの部分はぱりぱりだ!」と手ごたえを感じましたが、食べてみるとそれほどパリパリしていなかった。そもそもビエネッタ級のぱりぱりをミルクレープに期待するのがおかしいのねと自分に言い聞かせました。

【森永アイスクリーム】 ビエネッタバニラ 6箱

このチョコレートミルクレープはほんのりオレンジの味もしました。私だけかなぁ。そこがまたよかったです。このミルクレープとドリンクのセットをオーダーして店内でいただいたのですが、久しぶりにドトールに入って、スタバよりもいいなぁと感じました。

designKULTUR - Sapporo 2013 - Dotour Coffee - 2

ドトールのここが好き1 店員がキラキラしていない

キラキラしていない=地味という意味ではありません。スタバやタリーズに比べて、店員が落ち着いているのです。
スタバやタリーズの店員は「あの空間で働く自分」を思い描いて応募して集まってきた人達に見えます。「トールラテェ~」「5千円入りまーす」のひとこえもいきいきしていて、とにかくスタバあるいはタリーズにこだわって受けた感じ。特にスタバでは「カスタマイズ地獄を生き延びて、今ではどんなに忙しくても笑顔で対応できます」というオーラを感じる店員すらいます。
対するドトールの店員は、ドトールで働くことに特にこだわったわけでもなさそうで、ゆるい。やる気を前面に出してこない。客が入ってきたら挨拶はするけど、笑顔ではきはきとするわけでもなく、わりと静かに挨拶します。
こういうテンションの人達が集まる空間は、おっさん達がふらっと入って行きやすいと思います。お小遣いを減らされた猫背のサラリーマンが哀愁を漂わせながらコーヒーを飲むならドトールの方がしっくりきます。

ドトールのここが好き2 やもめ集団でも入って行ける雰囲気

これは1.も関係しているんだけど、スタバやタリーズのようにまるでデザートみたいなドリンクがなくて、メニューが比較的シンプルな分、広い年代層にとっての受け皿になっていると感じました。
例えば「旦那が逝った時はね、ぬれ落ち葉みたいな人でもいなくなると寂しいなぁって思ったけど、まあ孫もよく顔をよく見せてくれるし、近くの他人もあなた達みたいにいい人たちばかりで」とやもめ集団が語って頷く光景は、スタバやタリーズではあまり見かけませんよね。こういうお年寄りはどこへ行っているのだろうと思ったら、ドトールに吸い込まれていくのです。高齢者も入りやすい雰囲気を持つドトール、これからはもっと需要が高まるだろうなと思いました。だから変にお洒落になってほしくないです。こういう雰囲気をオアシスと呼ぶ人は大勢いると思うので。

ドトールのここが好き3 安い

スタバやタリーズで軽食+ドリンクを買う場合よりも若干安い。ジャーマンドッグとブレンドコーヒー(S)だったらぎりぎりワンコインで足ります。

以上です。

雨の日が好きになる時

秋の空模様は本当に変わりやすいですね。雨の日が増える時季でもありますが、雨、と聞くと憂鬱になる人は多いと思います。
気になっていた人との初めてのデートなのに、髪の毛のスタイリングは崩れてしまうし、靴は汚れるし・・・。でも雨の日はちょっとメランコリックになったり、ロマンチックな気分になれる日でもあります。
先日雨が降ってきた時はちょうど小さなカフェにいました。

Another rainy day

外を見ると、一匹の猫がカフェの横をちょうど歩いているところでした。そして角を曲がるとお店の入り口まで来て、ドアの外から店内をじぃっと見ています。店員さんがドアをちょっとだけ開けてあげるとすぐに店内に飛び込んできました。
「雨の日は濡れちゃって可哀そうだよね」
そういってその店員さんは少し何か食べ物を与えると、猫はそれをくわえて出ていき、向かいのお店の軒下でつつきながら、その後はそのまま雨宿りしていました。

外出したくない人は前向きにひきこもることもできます。

特等席を見つけた

灯台下暗し・・・・。

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雨の日になると行きたくなる場所。
そんな場所は今暮らしている街ではなかなか見つからないと思っていましたが、見つけてしまいました。窓のすぐ外に雨に濡れた緑の葉、そしてそこを滑り落ちる雨露まで見える場所。早朝で自分以外の客も少なく静かな店内で、雨が窓ガラスを叩く音を少し聴いてから、Yundi Liのノクターン集を聴きました。これはトリップできる。

Chopin: Nocturnes

Chopin: Nocturnes

  • ユンディ・リ
  • クラシック
  • ¥1900

 

雨の日にかけられた温かな言葉

私には「東京の父」と呼んでいる人がいます。

rainy day

都心から横須賀に電車で帰ることなんて簡単なのですが、この父はいつもとても心配して、あなたは乗り換え案内アプリですか?というくらい細かく確認してきます。「この駅で降りるんだぞ。大丈夫か?」と(笑)。
その父が雨の日の夜に私を見送る時にかけてくれた言葉が今でも私の心を温かくしてくれます。
「あのさ、マリアさんが一人でも帰れることくらい俺はちゃーんとわかってるんだよ。ただ雨の日の夜っていうのは、こう、なんだか寂しいだろう。だからもしもマリアさんがどこかで乗り間違えて、一人でおかしなところに降りてしまったら可哀そうだからさぁ。うるさくてごめんよ」
そういって東京の父の手には、恵比寿駅から品川駅までの駅がメモされた紙きれがありました。私がちゃんと品川から京急線に乗るまで安心できないのです。

雨の日は寂しい

そういって心配してくれる東京の父。
私の夫をキャバクラに連れて行った東京の父。
人に雇われたことがなく、組織に属したことがないから、媚びるとか社交辞令だとかそういうことがまったくできずに、大きくずれてしまっている東京の父。

ノクターンを聴きながら、そんなことを考えました。


雨の日を楽しんでね

youtu.be


 

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井川意高社長が貢いだであろう美女達


熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録という本を読みました。懺悔録としても面白いんだけど、製紙会社の経営者としての経営論の部分にも引き込まれました。マスコミが大喜びで報道し続けたボンボンとしての一面ではなく、その裏面。
だけど井川意高元社長(現会長)自らも社員達を叱咤激励して存続させてきた会社のお金を、バカラであれだけ使い込んでしまったんですよ・・・。中毒って怖いですね。それから美女達との飲み会(そしておそらくおこづかい)にも相当つぎ込んでいたようです。当然ですよね。お金を持っている男性はやはり遊ぶものなのだと、改めて感じました。金に物を言わせて美女を侍らせることができるのだから、浮気するなという方が無理があります。
では本書に登場した女性芸能人達を挙げていきますね。

 

高飛車なお姫様 宮沢りえさん

まずトップバッターは宮沢りえさんでした。りえさんは貢がれませんでした。ママが怖すぎたからとか、そういうことが理由ではありません。

井川さんが某会員制のバーで宮沢りえさんを見かけた時、オーラがある人ってこういう人のことを言うんだなと思ったそうです。その人が動くと、その人を囲んでいた光まで一緒に動くみたいな表現をされていたと思います。
大王製紙が、彼女が主演を務めた映画「ぼくらの七日間戦争」のスポンサーになっていたこともあり、バーで見かけたその夜、井川さんは宮沢りえさんに挨拶をしたそうなのですが、彼女は連れの男性と二人で飲んでいるところを邪魔されて不快だったのか、井川さんをかなり冷たくつきはなしました。その時彼女が放った言葉も本書には書かれていましたが、もう忘れてしまいました。でも相当きつい言葉でした。「大王製紙?そんなの知りません!」みたいな感じだったと思います。

どこまでも律儀なほしのあきさん

井川さんがほしのあきさんに初めて会ったのは、確かランチだったと思います。このくだりを読んだ時「ああ、日本を代表するような大企業の社長さん達っていうのは、夜のお相手だけじゃなくてランチすら美女を侍らせるのね」と思ったことを今でも覚えています。食事をご馳走して、タクシー代を渡しても、痛くもかゆくもない社長さん達。
ほしのあきさんはご覧の通り超童顔ですから、井川さんも彼女が現れた時「ちょっと君、まだ未成年じゃないの?」と突っ込んでしまったそうです。その時のほしのあきさんの答えがこれ。
「永遠の18歳です♪」
年齢のところは間違えっているかもしれませんが、こんな感じだったと思います。そしてまだほしのあきさんはまだあまり売れていない頃でした。そこから時々会うようになったそうです。例えば井川さんが「今飲んでいるから、君も飲みに来ない?」と声をかけると、ほしのあきさんはかならずちゃんと美女を引き連れてやってくる。おこづかいをくれるおじさんを接待するという自分の立場をわきまえていますよね。

そしてほしのあきさんが売れた後は、今までのように呼び出せば来て一緒に飲んでくれるというわけにはいかなくなりましたが、どんなに忙しくてもちょっとだけ顔を出して井川さんの顔をたてたり、どうしても無理だとしても必ず折り返しの電話をくれるなど、とても律儀だったそうです。この部分を読んで私はほしのさんがどのくらい井川さんに可愛がられていたのだろうと想像してしまいました。かなりもらってたんじゃないかなぁ・・・・。
ちなみに井川社長がほしのあきさんに「送ってくださいね♪」と甘えられて、「かわいいやつじゃないか」と苦笑いし、ダンボールひと箱分送ってあげたというローション入りのティッシュは割高です。

<携帯用も出ています>

別格のノリノリノリカ(藤原紀香さん)

この方だけは名前を伏せたまま記述されていました。やはり火のないところに煙は立たぬといいますから、この方との噂は本当だったのかもしれません。だから別格扱いなのかなと思いました。
「まるで僕たちがつきあっていたような噂まであったけど、事実ではない」と否定しつつも、自分の友達とノリノリノリカ、そして彼女の友達という男女のグループで別荘に行って過ごしたりしていたんですって。そして「何もなかった」と言い張るけど、美女との一夜を買うくらいのお金がぽんと出せる富と力を持つ男と美女達が泊りがけで遊びにいって「何もありませんでした」ってどこのバカが信じると思ってるんですかね。というわけで紀香さんはきっと井川さんと寝たと思いますが、すぐには寝なかったでしょう。ノリノリ紀香級の知名度と美貌があれば、当分やらずぼったくりできるはずです。

余談

井川さんのことをメディアで色々書いていた佐野眞一さんは、ノンフィクション作家ではなく、もはやフィクション作家だなと思いました。
「取材のために足を動かすのは面倒だけど、幸い僕は実績があって名前は売れている。だったらデスクに向かって自分が勝手に創り上げたストーリーや人物像を書いてもいいよね。そっちが楽だし、皆佐野眞一が書いたことなら信じるでしょ」
本書で井川さんが佐野眞一さんが書いたことに対する徹底的な訂正・反論を読んでいて、そういう印象を受けました。

サバラン 大人の世界と子供の世界の境界線

今でこそ「サバランのルックスはそそるぜ!」と思っていますが、幼い頃はあまり美味しそうだとは思いませんでした。むしろ地味だなと思っていました。
私は裏日本の暗い田舎町で生まれ育ちました。娯楽もなければ美味しいベーカリーやレストランもあまりないその町から、さらに小さな町にある母の実家に親戚一同で集まる場合、必ず母はお土産のケーキを買うのです。
母の実家に集まる予定になっている人数+3,4個のケーキが入った箱の中で、サバランはとても地味な存在でした。花束でいえばボリュームを増やすのに使われるかすみ草みたいな感じ。だけど母がサバランを買わなかったことはありませんでした。「洋酒がしみ込んでいて美味しいんだよ」と、私達が理解していようがいまいが関係ないといった感じで、母はよく私にそう言ったものです。

大人になってわかった サバランは子供に好かれる必要がない

そもそもお酒を使っているので、子供には食べさせられないものですが、それでも母達が食べているのをちょっとだけもらって(今思えばこの「ちょっとちょうだい」は母にとって本当にうざいものだったと思う。ただでさえちょっとしかない大人の贅沢なのにね)食べてみた時、うえぇぇぇぇぇ~っ!と思いましたよ。

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茶屋の秋のサバランが登場。栗のサバランです。ちなみに夏はオレンジのサバランでした)

「見た目も地味だし味も美味しくないしなんだよこれ」と思いました。だけどサバランは子供に媚びる必要がないのです。大人になってみて、こんなに美味しい焼き菓子ないよなぁと思います。 
小学校中学年くらいになると、このように母の実家にお邪魔をしていとこ達ときゃーきゃー楽しみながらも、敷居を隔てた隣の居間で向こうでサバランを食べながらゴシップに花を咲かせる母やおば達の様子に興味を持つようになりました。

「〇〇医院の先生って何号さんまでいるだろうねー」

「あなたと同級生だった〇〇君が保険金目当てで殺人を犯したのは・・・XX君もいじめられっ子だったけど、あの子は明るかったよね。でも〇〇君は当時からなんだか暗くて薄気味悪くて・・・」

サバランを楽しみながら語らう大人の話が気になって仕方がありませんでしたが、私が入って行ってはいけない世界でした。邪魔をしてはいけないと子供に思わせるような世界。
母とおば達は数年前にもめてしまい絶縁状態ですから、彼女達が集まってこのように語らうことはもう二度とないでしょう。だけどサバランをいただく時、年に何度か集まり、噂話や義理の両親に対する愚痴を漏らし、支えあう大人の女達を私は思い出すのです。子供達に聞こえないようにひそひそと話しても、気になって仕方がない子供にはすべて聞こえてしまうもの。そうそう、サバランとともに彼女達が楽しんでいたコーヒーの香りも懐かしいなぁ。

 

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