サバラン 大人の世界と子供の世界の境界線

今でこそ「サバランのルックスはそそるぜ!」と思っていますが、幼い頃はあまり美味しそうだとは思いませんでした。むしろ地味だなと思っていました。
私は裏日本の暗い田舎町で生まれ育ちました。娯楽もなければ美味しいベーカリーやレストランもあまりないその町から、さらに小さな町にある母の実家に親戚一同で集まる場合、必ず母はお土産のケーキを買うのです。
母の実家に集まる予定になっている人数+3,4個のケーキが入った箱の中で、サバランはとても地味な存在でした。花束でいえばボリュームを増やすのに使われるかすみ草みたいな感じ。だけど母がサバランを買わなかったことはありませんでした。「洋酒がしみ込んでいて美味しいんだよ」と、私達が理解していようがいまいが関係ないといった感じで、母はよく私にそう言ったものです。

大人になってわかった サバランは子供に好かれる必要がない

そもそもお酒を使っているので、子供には食べさせられないものですが、それでも母達が食べているのをちょっとだけもらって(今思えばこの「ちょっとちょうだい」は母にとって本当にうざいものだったと思う。ただでさえちょっとしかない大人の贅沢なのにね)食べてみた時、うえぇぇぇぇぇ~っ!と思いましたよ。

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茶屋の秋のサバランが登場。栗のサバランです。ちなみに夏はオレンジのサバランでした)

「見た目も地味だし味も美味しくないしなんだよこれ」と思いました。だけどサバランは子供に媚びる必要がないのです。大人になってみて、こんなに美味しい焼き菓子ないよなぁと思います。 
小学校中学年くらいになると、このように母の実家にお邪魔をしていとこ達ときゃーきゃー楽しみながらも、敷居を隔てた隣の居間で向こうでサバランを食べながらゴシップに花を咲かせる母やおば達の様子に興味を持つようになりました。

「〇〇医院の先生って何号さんまでいるだろうねー」

「あなたと同級生だった〇〇君が保険金目当てで殺人を犯したのは・・・XX君もいじめられっ子だったけど、あの子は明るかったよね。でも〇〇君は当時からなんだか暗くて薄気味悪くて・・・」

サバランを楽しみながら語らう大人の話が気になって仕方がありませんでしたが、私が入って行ってはいけない世界でした。邪魔をしてはいけないと子供に思わせるような世界。
母とおば達は数年前にもめてしまい絶縁状態ですから、彼女達が集まってこのように語らうことはもう二度とないでしょう。だけどサバランをいただく時、年に何度か集まり、噂話や義理の両親に対する愚痴を漏らし、支えあう大人の女達を私は思い出すのです。子供達に聞こえないようにひそひそと話しても、気になって仕方がない子供にはすべて聞こえてしまうもの。そうそう、サバランとともに彼女達が楽しんでいたコーヒーの香りも懐かしいなぁ。

 

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