この人なんか嫌だ、という勘は大抵当たっている(2)

すごく抽象的なことの羅列だから、読んでいてもすっきりしない記事になることでしょう。

喧嘩両成敗とよくいうけど、衝突している一方から話を聞かされる場合、大抵他方がぼろくそに言われます。私はその話を聞いていて、ずっと腑に落ちない部分がありました。
だけど自分側から見たストーリーだけを話し続けるその人に「でもね、話を聞いていると、おかしいなと思うところがあるのですが・・・」と問いかけるのは野暮です。その人は自分から見たストーリーを聞いてほしいだけで、トラブルの解決策は求めていないのですから。特に女ってそうなんです。共感してほしいだけ。

だけど先日、「私はこんな人の愚痴をずっと聞いてあげていたのか」と思うようなことを知ってしまったのです。やはり喧嘩両成敗というのは正しいのだと思いました。


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私にずっと愚痴っていたその女性の本性を知ってしまったのです。

変な人だなとはずっと思っていましたが、こんな人の愚痴をずっと聞いていたことが馬鹿馬鹿しく感じられるような程ではありませんでした。でも対等な関係ではありませんでした。私にとって対等な関係というのは、相手が夜カフェしてまで語り合いたい人かどうかということです。
だけどこの女性との関係は、常に私が聞き役でしたから対等ではありません。
私は彼女の卑しさとずるさを知り、その瞬間今まで彼女の愚痴を聞くことに費やしてきた時間の大きさを嘆きました。だけどその瞬間も顔色ひとつ変えずに彼女の話を聞き続けましたから、彼女は自分が私の心の中で静かに削除されたことに気づくわけもありません。
そして人間の面白さと恐ろしさを見た気がしました。
何を隠し持っているかわからない面白さと恐ろしさ。本人は隠していたつもりはないんでしょうけどね。

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