夜カフェしてまで静かに語り合いたい相手に求めるもの

重度のかまってちゃん(30代だからかまってさんの方がいいかな)に久しぶりにつかまりかけてから、時間の価値について考える日々が続いています。自分が彼女のために無駄にした時間を振り返ると同時に、どうやったら自分が他の誰かと過ごす時間を、その人にとっても自分にとってもよりよいものにできるかなんていうことを考えているのです。

一時期マスメディアが夜カフェを流行らせようと仕掛けたことがありましたよね。実際に流行ったのかどうかはわかりませんが、私はあらゆるメディアがこぞって夜カフェについてとりあげている頃、こう思ったものです。

「夜カフェしてまで静かに語り合いたい人って、自分にはいるのだろうか」

 

Cafe Royal at night

ディナーよりもハードルが高い

例えば三年くらい会っていなかった大親友と会うとしましょう。あなたはとっておきのレストランを予約します。雰囲気も良くて、お料理も美味しい。接客もつかずはなれずで心地よいそんなお店で再会。お料理も美味しくて会話も弾みます。そしてついついアルコールも気がつけばワインボトルが2本くらい空いていた・・・とかありますよね。
そんな風に、ディナーだと会話はある瞬間には最高のご馳走になり、またある時はおつまみになってくれます。
だけど夜カフェだと会話が全てになるじゃないですか。「何時間あっても語り足りないよね」といえる人となら楽しいですよ。いつもなら熟睡している時間に起きて、おしゃべりを楽しんでいるということだけで既に刺激的です。
女子トークというものにまったく興味がない私にとって、バカ話から相続税の話まで一緒に楽しめるような、何を話していても共鳴し合う、止まらない相手・・・。

気が合うだけではだめ。バイオリズムが偶然一致していることも重要

お互い頑張らなくても、自然と話が盛り上がる。そういう相手が理想ですよね。

 

f:id:usmilitarybase:20160619234242j:plain

こういう文章を書く人は、私の中でまず消去法で真っ先に消されます。お互いに相当頑張らないと、話を合わせられないだろうから。そんなにエネルギー浪費してまで話したい相手ではありません。

じゃあ話していて楽しい人って、私にとってどんな人だろう。会話をキャッチボールに例えると、どんな球が返ってくるかわからない恐ろしい人で、こちらをどきどきわくわくぎょっ!とさせてくれる人。確かにこういう人と話していると、宇宙人と交信しているような錯覚に陥って楽しいといえば楽しいのですが、精神状態を中心としたバイオリズムがそういうものをよしとする状態じゃない時(精神的に疲れている時、人の幸せを喜べる余裕が自分にない時など)に宇宙人相手だと、疲れるしもてあましちゃうしで、楽しめません。それはもったいない。
だから相手との相性だけではなく、その時の自分と相手の精神状態が似通っているというのも大切です。お互いエネルギー補給を必要とするくらい疲れているのか、それともエネルギーに満ち溢れているから与え合いたいのか、など。

関連記事