「複雑な生い立ちのせい」はどこまで通用するのか


愛知県日進市の男子高校生が、60代の男性を刺殺する事件が起きました。

「いろいろなことでストレスが溜まっていた」
「祖父が憎かった。祖父に似ていたから被害者の男性を狙った」

などと犯人の男子高校生は言っておりますが、祖父が憎かったわりに祖父本人は殺さずに、似ている人を狙う時点で、責任能力を問えますね、と素人の私は思うわけです。だから精神鑑定をやるとしたら、お金と時間の無駄だと思います。

加害者の家族構成は祖父母とおば

両親とは別居。複雑な環境で育ったからしようがないね。それが関係してこうなっちゃったのかもしれないね・・・で済まされたら、世の中はもっと殺人が増えているはずです。自分の不幸を生い立ちや育った環境のせいにしたくなる人の気持ちは、私には一生わからないでしょう。だけどそういう生い立ちや育った環境のせいにして生きるのは、果たしてどこまで通用するのでしょうか?

 

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photo by u m a m i

「ああ、あの人ってそういう生い立ちなんだ・・・・」と思われることでその本人が救われるのなら、それでもいいのでしょう。根本的な解決にはならないけれど、それを本人が求めていないかもしれない。

今回の事件の被害者の男性には、家で待っている家族がいました。
それは足の不自由な奥様で、被害者の男性は、自分と奥様の分のお弁当をコンビニで買って、その帰りに少年の手によって命を絶たれたそうです。

「お弁当買ってきたよ」
「たまにはコンビニ弁当もいいねぇ」

そんななんてことのないやりとりが、遺された奥様の人生から奪われてしまったのだとしても、「加害者は生い立ちが生い立ちだから、しようがないよね」「運が悪かったよね」で済まされるのでしょうか。
こういうニュースを見ていると、自分が誠実に、人に優しく生きていたって、幸せがずっと続くわけではなく、不幸を予測して避けることなどできないんだなぁと思います。

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