バブル時代の「大人のいい女」安井かずみ

やっと読みました。
バブル時代を社会人として過ごした女性にとって、お洒落のアイコンだった安井かずみさんの著書です。

f:id:usmilitarybase:20200510162228j:plain

まだ女性があたりまえのようにオフィスでお茶汲みをさせられていた頃、こんな女性がいたということが信じがたいです。世の中がメッシーだのアッシーだのと騒いでいた頃、そういうものとは無縁の世界で、自分が美しいと思うものだけに囲まれて生きた、エレガントな女性。

私がお慕いする作家、山田詠美さんがエッセイで「フレンチフレイヴァーの女」と評した安井かずみさんに関する書籍を何冊か読みました。それ以来「もっとこの人のことを知りたい」と思っていた女性でもあり、安井さんご本人が書かれた著書を読むのはこれが初めてですが、とても魅力的で洗練されていた女性であろうことはよくわかりました。だけどあまりにも前向きで貪欲で、私はちょっと重く感じてしまった部分があることも最初に書いておきます。You need to chill.と言いたくなるというか。だけどバブル経済の真っただ中で世の中全体が元気だった日本では、このくらいでもちょうどよかったのでしょう。

本書を読んで、安井さんとそして親友だった森瑤子さんは欧米かぶれのひとことで片づけてはいけない人達だと思いました。彼女達が美しいと思うもの(物質的な意味だけではありません)が、本当にたまたま欧米にあった。ただそれだけ。それは彼女達がところどころ使用する英語を見ていてもわかります。
バブル時代にもおそらく数多くの和製英語が誕生していたであろうことは想像できますが、本書を読む限り、安井さんはちゃんと英語本来の意味や微妙なニュアンスをちゃんと理解して使っていますし、森さんもそうでした。「英語の方が格好いいから」と装飾のように英語を使っていたのではない。
日本に自分達が憧れるような大人の女が少なかったから、どうしても海外に目が向いてしまった結果なのでしょう。

目次を見ただけでそのエッセンスの濃厚さと芳香さに心が震えてしまうほど、今読んでも十分面白い(今読むからこそ面白いともいえるでしょう)一冊であることがわかりますが、安井かずみさんというファッションアイコンを作り上げていた緊張感と美意識が最もよく反映されていたのが「ディナーは愛の舞台」(p.86)ではないでしょうか。

ただ空腹を満たせばよい・・・時代は終わった。大人の女はディナーの時、美しい女に立ち返る。そして、美しい女振りを発揮できる唯一の一日のスケジュールである

夕飯でも、夕食でもなくディナーと書いたのは、ちょっとおしゃれに、少し気取って、きちんとした夜の食事のイメージのため、と安井さんは書かれています。この部分を読んでいるだけで、洗練された大人の女性がディナーを楽しむ様子が目に浮かび、わくわくしました。
私にとってこういうディナーはちょっとしたイベントです。「たまにはおしゃれをして、お気に入りのあのお店で」と。だけど安井さんにとってはそれが毎晩あたりまえのように行われる儀式でした。外食しなくても、自分と夫の審美眼にかなった物/人だけが集められた自宅で、優雅な晩餐を楽しむ。おそらくバブル時代に流行っていた、大人たちが湯水のようにお金を使っていた高級レストランでは、安井さんはその趣味の悪さが耐えられなかったのではないかと想像しています。お金を使って騒ぐことに興味はなかったでしょうから。ちなみに安井さんも当時の格好いい大人達の多くがそうであったように、キャンティの常連だったそうですね。

そう、日本では見つけられない格好いい大人の女のアイコンとされていた安井さんにも、ロールモデルとなった女性がいました。それがこの「キャンティ」を夫とともに創業した川添梶子さん
当時の常連客を見ると三島由紀夫、安部公房、黒沢明、岡本太郎、小沢征爾、篠山紀信、加賀まりこ、かまやつひろし、ビートたけし、坂本龍一、村上龍、松任谷由実(Amazonより引用)とまあそうそうたる顔ぶれで、「金さえあれば常連として受け入れてもらえるようなたたずまいの店ではない」ということがわかります。

キャンティ物語 (幻冬舎文庫) (日本語) 文庫 – 1997/8/1

 

晩餐をより楽しくするために、安井さんがゲストをもてなすために重視したのがファッションやテーブルセッティングに加えて、会話です。この会話を楽しくするために、彼女は日々学習を怠りませんでした。教養、ユーモアのセンス、まれにもたらされる沈黙の楽しみ方・・・。ただこのディナーに日常的につきあわされる側はかなり疲弊していたと思います。
夫の加藤和彦さんは才能豊かな音楽家でしたから、クリエイティブな仕事をする人であるからこそ、ダウンタイムは欲しかったと思います。優雅な晩餐で妻を接待し、また常にインスパイアしあう関係でい続けようとするのは厳しいでしょう。時にはTVの前に座って、冷凍食品を温めてそれを食べておしまい、なんて夜も過ごしたかったのではないでしょうか。
加藤さんに関しては過去になかなか真似できない、バブル時代の憧れのカップルのエレガンス - マリア様はお見通しという記事を書いておりますが、安井さんが若くして亡くなった後すぐに彼女の荷物を整理して、新しい恋に生きた彼を責める人もいたそうです。だけど私は本書を読んで、彼が演じてきた完璧な紳士役の荷の重さを知ることとなりました。加藤さんほどの男性であれば、この役を演じることを楽しめていた部分も大きいであろうとはいえ、やはり家庭にいても緊張感を保ち続けるというのは疲れたはずです。
愛する女性が亡くなったのですから、当然大きな喪失感はあったことでしょう。だけどそれと同時に実は解放感もあったのではないかと思ってしまうほど、安井さんが追求しつづけた「美しく優雅な生活」につきあい続けるのは、仕事を終えて帰宅しても、本業よりもハードなパートタイムの仕事が待ち構えているようなもの。このようにパートナーに要求するものが大きかった安井さんではありますが、自分自身に対してとても厳しい人でもありました。あたりまえか。

今夜の照明はどうする?
テーブルセッティングなんだけど、どんな気分?
音楽はどうしようかしら・・・・。

来る日も、来る日も・・・・・。

バブル時代の大人達が憧れるカップルだった二人を見ていると、光が当たる場所には必ず影がある、と思ってしまうのです。

贅沢に、美しく大人の女―自分をもっと豊かに生きる (日本語) 単行本 – 1991/8/1



関連記事

キャンティに関するおすすめ記事(このブログの外部に飛びます)