「村人になりたい」といった親友と、彼女の幸せを願うことができなかった私




私が初めてヤマギシズム楽園村に滞在した年の翌年になると、仲良しグループ5人のうちヤマギシ会の会員だったFちゃん以外は楽園村から遠ざかりました。
早起きをして鶏舎で作業をすること、よく噛まずに食べること、なんでもにこにこ「はい!」と応じること、よく知らない人達との共同生活に、すぐに飽きてしまったというよりは、自分達には無理だと思ったのです。煩悩だらけの俗世間の方が幸せだとしみじみ思いました。
ロールモデルとして憧れ、そして正直に言うとちょっと疎ましく思っていたFちゃんが俗世間を捨てて楽園村の村人になると言い出したのは、それから数年たった晩秋のある夜のことでした。

Moonlight


私達は中学生になっており、その夜私は学習塾に行き母親がいつものように車で迎えに来ました。そして農道を走っていると母が急に速度を落としはじめ、母は「あれ、Fちゃんじゃない?」と言って指さしました。見覚えのある学校指定のジャージの上にコートを着ないで歩く、すらっとした長身の女の子は、Fちゃんのようにも見えました。雪国の晩秋の夜の冷え込み方を考えると、ジャージ一枚で歩いているのは何か事情がありそうでした。強い衝動にかられ、家を飛び出したのではないか。
母は車を停めて、私に窓からそのジャージ姿の女の子に声をかけるように言いました。

「Fちゃん?」

その女の子は一瞬びくっとして、窓から顔を出す私を見ました。私もその子の顔をよく見てみると、母の言うとおりFちゃんでした。泣きはらした顔でした。私は車から降りてFちゃんに一緒に車に乗るように話しましたが、最初は乗りたがりませんでした。
「マリアちゃんのお母さんの車に乗ったら、どうせうちに送り返すんでしょ?!」
ただごとではないと察した母は、とにかくまずは車に乗って、皆でうちに帰って温かいココアでも飲みましょうと言いました。
うちに三人で帰って私の部屋に上がってもFちゃんは泣き止みませんでした。
「ココア作るから、ちょっと待っててね」
石油ヒーターであっという間に暖まった部屋にFちゃんを残して、私はキッチンにおりました。もう少し彼女をそっとしておいた方がよいような気がして、キッチンで少し時間をつぶしました。部屋に戻るとFちゃんに「もう暗いのに、あんなところで一人で歩いていたら危ないじゃん」と言いました。すると彼女はなぜ一人で行くあてもなく歩いていたのか話し出しました。
「中学を卒業したらヤマギシ会の村に住んで、村人として生きていきたい」と言ったら、Fちゃんと同様に会員であるお母様に大反対されたからです。そして激しい言い合いになり、家を飛び出してしまったのです。私はFちゃんが中学生になってもヤマギシ会のメンバーとしてそれなりに活発であったことに驚きました。お互いに部活や勉強で忙しくなり、小学生の時のように多くの時間を過ごすことはできなくとも、お互いのことをよく知っているような気でいた私にはまさに寝耳に水だったのです。
そして次に感じたことが「正気なのか?」ということ。Fちゃんは才色兼備でしたから、彼女の頭脳があれば県下一の進学校にだって進めたはずなのです。なのに村人になろうというの?
だけど彼女が県下一の進学校に進んだとしてもきっとそこで彼女は自分の置かれた環境と透けて見える自分の未来に疑問を持ち、結局最終的には村を選んだのではないかとも心のどこかで思いました。
一般的な秀才とかクラスのマドンナといった言葉では表現しきれないのがFちゃん。
美人で頭もいい。テストの点数云々を超越したレベルで賢かったし、隠れファンだという男性生徒は大勢いました。表立ってFちゃんに告白する人数が少なかったのは、彼女が高嶺の花だったから。
モテても同性に嫌われなかったのは、あまりにも別格だったから嫉妬の対象にならなかったというのも理由の一つですが、誰に対しても同じように接し、自分の意見を言える子だったから。相手によって態度を変えるとか、そういうことをまったくしない子でした。教師に対してすら意見することはあったけど、それは別に自分が賢く見られたいとか、「教師に対してもものおじしない私」に見せたいからではなく、彼女はおかしいと感じたことはおかしいとはっきりいう子だったのです。またどこか浮世離れした存在でした。
そんなFちゃんが目的意識も意欲もなく「とりあえず入っておけば将来あなたを支えてくれるから」というだけで進学校に進んでも、どこかでそのレールを自ら降りてしまうであろうことは想像できました。
だったら村人になればいい。人には犯さなければその先に進めない過ちもある。親友だったら距離なんて関係ない。いつまでも互いの心の中に小さいながらも居場所を持つことができるだろう。
そう自分に言い聞かせたのに、やはり私は彼女の幸せを願えませんでした。私の近くにいてほしかった。なぜなら私は高校生になって門限が少し遅くなったら「皆とは別格のFちゃん」と遊びに行きたいところがたくさんありました。きっと彼女はもっと魅力的な女性になると思っていたし、自分が生きる上での指標としてFちゃんの背中を見続けていないと不安だったのかな。だから近くにいてもらわなくては困りました。
でもそのように無理をして互いの近くにいても、結局会わなくなっていくのだろうと、心のどこかで認めていました。友人なり恋人なり、人間関係というものは二人の魅力のつり合いがとれないとすぐに傾いてしまい、うまくいかないものだし(私達の場合、Fちゃんが圧倒的に魅力的だった)、彼女と私の精神は属する世界があまりにも違いすぎたのですから。
下世話なことが大好きな普通の女子中学生の私と、もはや変人ともいえるほど頭がよく、誰にも破壊されないバブルのような精神世界の中に生きていたFちゃん。

ココアを飲みながら村の話をして30分もするとFちゃんのお母様が迎えに来ました。
Fちゃんはその翌年、村人になってしまいました。しばらくなんのやりとりもありませんでしたが、高校2年生の時に連絡が来て一度だけ会いました。
「地元には何度か帰ってきていたけど、誰とも会いたくなくてマリアちゃんにも連絡しなかった」
私はこうして私はFちゃんの人生から徐々に自分が消えていくのだと思うと少し悲しかったです。ちょっとぎこちなく交わす会話の中でFちゃんがこういいました。
「幸せって、(ヤマギシの)村の人達だけが考える幸せだけじゃないと思う。色々な形の幸せがあっていいと思うのに、村の人達は他の形を認めようとしない」
地元でも村でも居場所が見つけられないFちゃんは幸せそうではありませんでした。そしてFちゃんはしばらくすると村を去ったのです。
それからも時々Fちゃんはどうしているのだろうと思うことはありました。
もしも彼女がちゃんと大学まで出ていたら、どんな仕事に就いていたかなぁとか、どんな男性を選んだのかなぁとか。だけど誰もがうらやむ仕事や男性、いわゆるハイスペックといわれるものを手に入れることにこだわるFちゃんを想像できませんでした。

30代前半になって、彼女が一度だけ会いに来てくれました。
たまたま機嫌がよかった神様が気まぐれで創り出した造形美のような顔立ちは変わらず、そして一番驚いたのは、我が家の最寄り駅で彼女を待っていた私が彼女を人ごみの中に見つけだした速さです。15年以上会っていないのですから、彼女がいかに美しいとはいえそう簡単にはわからないだろうと思っていました。だけど彼女の周りだけ違う空気が漂うような、精霊みたいなオーラは相変わらずで、私にとって「別格のFちゃん」がそこにいました。

Fちゃんの記事を今から5年半前に書いていたことを思い出しました。

>>携帯電話がなくても心がつながっていたあの頃 - マリア様はお見通し