自分が傷つけた相手を平気で同窓会に誘ってくる人の心境

今から3,4年前でしょうか。飯倉さん(仮名)という女性から急にFacebookで友達申請がありました。飯倉さんとは中学まで一緒でしたが、中学の時は彼女によく思われていないことを知っていましたから、筆者から彼女に話しかけることはまずなく、それ以来もうずっと話したこと顔を合わせたこともなかった関係にあった彼女が20年経ってから急にどうしたものかと思ったら、なんと同窓会へのお誘いでした。しかも彼女が幹事。すごい神経をしている人だなと思った理由を書きたいと思います。


飯倉さんと私は同じ中学に通いバレーボール部に所属していました。私はスタメン、飯倉さんはベンチにも入れませんでした。部員数がとにかく多かったのです。ですから最上級生になってもベンチ入りできない部員は大勢いました。思春期の子供たちに「腐るな」と言っても難しかったでしょうね。
飯倉さんは顧問の先生やスタメン達に呪詛を吐き続けることが趣味で、面と向かって吐く場合と陰でヒソヒソと吐く場合と両方あり、彼女を中心とした陰湿コミュニティが楽しくお話しているところにたまたま私が通りかかると「あ、きたきた」と言ってあからさまに話をやめることなど日常茶飯事でした。
飯倉さんの呪詛は、先輩が引退する直前に次期スタメンが決まったあたりから始まり、こつこつ地味な練習も苦にならずまじめに頑張っていた私は、その中でも最も標的にされたといってもおおげさではありませんでした。そのまじめさが鼻についたことくらいは、中学生の私にも想像はできました。

Caught


「引退するまでの1年の我慢。部活を引退すれば廊下で顔を合わせるくらいだからもうどうでもいいし♪」と自分に言い聞かせて耐え抜いた日々。その日々を水に流して一緒に呑みましょう!ということなのでしょう。だけどそれはあまりにも無神経だなと思いました。
ここから先は筆者の想像ですが、おそらく飯倉さんはお子さんが自分が呪詛マシーンと化していた年齢に成長し、部活動に熱中しきらきらし始めた頃なのではないでしょうか。練習の成果が思うように見えなかったり、壁を乗り越えようとしている子供の姿を見ていて、ふと「真面目にこつこつ頑張っていたマリア」を思い出した。そして子供というフィルターを通して部活動を見た時に「当時はあなたの気持ちなんてわからなかったけど、我が子が地味にこつこつと頑張っている姿を見て目が覚めたわ」という自分勝手さというか、「懐かしさ」というパズルを完成させるための一番大きなピースとして思いついたのが呪詛を放っていた相手である私でしかない。結局その懐かしさに浸って悦に入るんだろうなと思ったので、同窓会は当然断りました。

とりあえず友達申請は承認してみたので、彼女の近況は画像を通じてみることができたのですが、積極的に人と交流して楽しく生きようとしている感じに見られました。

ですからバレー部の同窓会もその一つでしかないのではないでしょうか。自己実現に必要なイベントの一つ。
歳をとってみて見えてくることは誰にでもありますから、「あの頃はひどいことをしたな」と思い返してみるのもどんどんやってほしいと思いますが、心の中にとどめておいていただけたらと思います。私には自分がひどいことをしたなと思った人に、20年の歳月を越えて連絡を取る気持ちにはなれません。それに仮に反省していたとしても、人間はそんなに簡単に変わらないと思います。人の心に踏み込むための土足は履きたくない。

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