賢者は140文字以内で表現し、胡散臭い教祖様は1000文字以上で表現する

人気ツイッタラーのツイートを見ていてふと感じたことがあります。
幸せに暮らしている人達はその幸せを手に入れるためのあたりまえのことをしています。幸せを勝ち取った人、ゆっくりと手繰り寄せた人。そこから学んだこと、感じたことを140文字以内で表現し、それらは日々、フォロワーの役に立っています。例えばりーたんさん

 

 

マダム活でりーたんさんがうまくいったのは、出自が明らかによさそうで品のある綺麗なお嬢さんで、どこの誰に紹介しても恥ずかしくなかったからだと思うんですね。だからこれをそのまま鵜呑みにしてマダム活をしてうまくいかないってこともありえますが、参考になることはたくさんあります。


色々ためになるツイートはあるけど、結局「マダム活が目的でお茶の会に出るような女の子はすぐにぼろが出るけど、上生菓子とそれに纏わるエピソード等を楽しもうという素地のある綺麗なお嬢さんは最強」という事実を叩きつけられた気がします。
それに歌舞伎にしろお茶会にしろ、初期投資もかかりますから、お金持ちの家に生まれたラッキーな女の子達の花嫁修業の場としてはいいのでしょうけれど、それ以外はどうかなぁ。
なにはともあれ20代のうちにりーたんさんのツイートを読み始めている女性達はラッキーですよ。もちろん、30代の女性も遅すぎるわけではありません。
このように簡潔に140文字以内で誰かのためになることを発信するツイッタラーはちらほらいます。りーたんさんはお金持ちだから、これぞ!というものを紹介する時に、小銭にしがみつく私みたいにアフィリリンクも絶対に貼りません。

Ikebana by Window Light

胡散臭い教祖様達はなぜシンプルなことを表現するのに1000文字以上使うの?

賢者たちはこのように140文字以下の短文に濃厚なエッセンスをぎゅっと詰めますが、胡散臭い教祖様達はその逆です。
読むのに5分以上かかる前置きの後に話が緩く展開し、無駄な改行などを経てその記事の主旨に至ることが多いようです。川の流れに例えたりね(笑)。その結果1000文字以上になったりします。
あなたにとって珠玉の言葉は賢者の140文字?それとも教祖様達の1000文字?