川端康成の書かなかった雪国(2)

北風の音が聴きたい、と最近思います。
雪国特有の、湿気をはらんだ風の音。
1月の横須賀は結構暖かくて、時間帯によっては半袖のセーターにダウンジャケットで出かけられるくらいでした。だから時々生まれ故郷の北風の音や、水分を多く含んだ雪の匂いが恋しくなります。

Trinkets Pale of Moon

横殴りの風を遮ってくれるような建物が何もない真冬の田んぼ道を、お参りのために毎晩往復で1時間かけてあるいた年がありました。弟が高校受験の年でした。
喫煙が見つかって母が学校に呼び出されるなど、中途半端なヤンキーみたいなかんじで素行が悪くなってしまった弟が受けたのは、バカが集まる私立・A高校でした。

「あの高校に落ちたら、もっとひどい私立にいかなくちゃいけなくなる。そんなことになったら、あの子は周囲に影響されやすい子だから心配なの。どうしてもA高校に受からせたいから、ママ、今日から入試当日まで毎日あのお地蔵様にお参りに行く」

母がそういいだしたのは、A高入試まで2か月くらいのある日でした。
「さすがにあいつもA高落ちるほどバカじゃないと思うよ」とは、なぜか言い出せませんでした。
母のように現実的でまた合理的な人が、神頼みに走るほど切羽詰まっていることに驚きました。そして夕食の後片付けを済ませると、早速完全防寒して出かける気満々でした。
「え・・・・今夜から行くの?」
「そうだよ」
母がお参りに行くお地蔵さまは、雪のない日は車で3分でつきますが、雪が積もっている日は車でも15分はかかるところでした。車庫の前の雪かきの時間や労力を考えると、歩いた方が早かったのです。
数少ない街灯の光だけを頼りに、猛吹雪の中真っ暗な農道を一人きりで歩かせるわけにはいかなかったため、私も同行することにしました。それから毎晩、二人で一緒にお地蔵様にお参りに行きました。
雪の積もった農道は交通量が多くはありませんでしたが、それでも時々車が通るため、私達母子は邪魔にならないよう一列になって無言でひたすら歩きました。農道の両脇には赤い旗が等間隔で立てられていて、そこから外側に出ると田んぼにはまってしまいますよという目印でした。雪で農道と水田の境目がわからなくなってしまう冬は、至る所で見られたものです。
歩いている間、会話はいっさいなし。お互いのブーツが雪に沈んでいく時の音と、風の音しか聞こえませんでした。
周りを見渡して雪に覆われた暗い田園地帯と「どうせ明日も雪なんだ」と思わせる、重苦しい紺色の空しか見えず、明るさや暖かさを感じさせてくれるものと言えば、一時間に上下線合わせても二本しかない信越線の車窓から漏れる光だけでした。動体視力の悪い私でも、各車両に何人乗っているかぱっとわかりそうなくらいしか利用客が乗っていない電車。

今こうして眠らない街で暮らしていると、ざっざっざっ・・・という、雪道を歩く時の音が響き渡るほどの静けさと、冷たく湿った澄んだ空気が恋しくなるのです。住んだらきっと、陰鬱とした灰色の空を見上げてはうんざりするのだろうに。

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