2年前くらいの話です。女友達(だと思っていた)とコーヒーをするために待ち合わせていた時のことでした。彼女から「ごめん。傘を忘れてきてからうちに戻らなくちゃいけない。ちょっと遅れるね」というメッセージが届きました。
途中のコンビニでビニール傘を買うこともできるのに、その300円くらいの出費と私を待たせること、あるいは傘も含めたトータルコーディネートの完成度と私を待たせることを天秤にかけた場合、300円/コーディネートの完成度の方が重いのだという現実をつきつけられた私は、待ち合わせ場所で頼んだコーヒーも飲み終わってしまいました。
300円の価値もない人間だと思われているのに、あなたはこうして待ち続ける気なの?救いようのないバカね、という声がどこかから聞こえてきそうでした。
そしてちょっと=1時間半遅れてきた彼女。そういえば待ち合わせにはいつも遅れてくる人でした。人の時間を無駄にすることに対して何も感じない人って、早めに距離を置いた方がいいと私は思います。
toxic people=自分にとって有害な人って、ぱっと見いかにも害のありそうな人とは限らないからcut outするのが難しい。だけど一つの行動がその人に関して多くのことを語ることはあります。私を待たせることを300円と比べて、300円の方がもったいないと思う人は、「マリアさんと話して気分がすっきりした。ありがとう!」と持ち上げているようであっても、心の奥底で私を馬鹿にしているはずです。そしてそれは必ずまた行動に現れます。その後もう一度彼女とコーヒーの約束をしました。やはり遅刻したのですが、待っている私にこんなメッセージが届きました。
「今日あまりやる気ないからすっぴんなの。(それをカモフラージュするために)サングラス買いたいからXX駅の〇〇側出口で会えない?」
待たせたうえに買い物にもつきあえという神経。その日のうちに縁を切ることにしました。
コーヒーを飲みながら彼女からの相談に親身になってのるふりをして、彼女が言われたら一番痛いであろうことを率直に言ったところ「信頼して全部話したのにひどい!」とキレられておしまい。それ以来彼女にはもう会っていません。
時間は浪費して初めてその価値がわかる。それが彼女から学んだ一番大切なことです。自戒を込めてこの記事を新年に書きました。2020年は仕事以外は大切な人だけに時間を使って、toxic peopleが入り込む余地のない暮らしをしていきたいです’。
情の深い人ほど「こいつはあかん」と思ったときに一切の隙も与えず見限る。完全に背中を向ける。情が深いのは、あかんと思うまでの辛抱が長いことでもあり、あかんと思ったときにはすべての情を使い果たしてるから。でも情をかけられてた人間にはそれが理解できない。裏切られたと思ってしまうんだな。
— 及川眠子『誰かが私をきらいでも』発売中 (@oikawaneko) January 4, 2020
ありがとうございます
— saeki (@saekimitsugu) January 5, 2020
今は歳をとり、おかげさまで鈍感力とそれなりの処世術を身につけましたのでどうにか凌げております
たまに当時を振り返りますが、私の犠牲や我慢についていつか分かってくれるんじゃないかと期待していた愚かさが懐かしいです
ストレスを感じながらもその相手と長く関わってしまった理由は必ずしも情の深さとは限らないかと。じゃあ何なんだ?と言うとそこは色んなケースがあるんだろうとしか言えませんが、少なくとも私は情の深さではなかったので、関係が切れた時は本当に気持ちが晴れ晴れとしました。
— めのう文庫(まりも) (@mari_mon) January 5, 2020
関連記事