1999年10月に埼玉県桶川市で起きたストーカー事件の被害者・猪野詩織さんの最大の不幸は、小松和人と出会ってしまったことです。この男、まともじゃないんだもの。
小松の生い立ちが気になるところですが、これは本書にも書かれていなかったため、検索してみました。検索結果から表示してみたページは、全面的に「母親から十分な愛情を受けられなかったゆえの精神病」を盾に小松を擁護するページだったため、不快な気持ちになりブラウザの戻るのボタンをさっさと押して退出しました。
本名 小松和人
以下は「桶川ストーカー殺人事件 遺言」の著者・清水潔さんが、被害者である詩織さんの友人から聞いた話の一部の引用です。その友人達は、ご両親に心配を極力かけたくない詩織さんが「私、殺されるかもしれない」と小松のことを相談できた唯一の仲間でした。
車の運転が乱暴だった。
(中略)
急発進、急停車はしょっちゅう。幅広い国道でわざと蛇行したり、交差点で停まると大きな音で空吹かしする。一緒に車に乗っていて恥ずかしい、と詩織さんは漏らしていた。行動にまるで計画性がなく、ドライブに行けば必ずと言っていいほど行き先が何度も変更された。
(中略)
小松に不信を感じ始めた頃だった。ある日、何気なく車のダッシュボードを開けた詩織さんは、奇妙なものを発見する。そこからは雑多なカード類が出てきたのだが、どのカードの名前の欄も小松誠ではなく、小松和人となっていたのである。
小松誠と名乗っていた男は、小松和人・・・・そう知った時の詩織さんの気持ち、想像できますか?
「なんで私に本名を名乗れないの?私がつきあっているこの男、何者なの?」
本名すら隠す必要があった小松和人の仕事は、本人曰く車のセールスマンで月収一千万以上。だけどその男の実態は池袋に風俗店をいくつか抱えていたオーナーでした。またその兄、小松武史も消防士でありながら、その職業では到底できないレベルの生活を埼玉県で送っており、武史も風俗店の経営に関わっていたことが後から明らかになりました。
風俗といえば、当然バックにはヤクザやチンピラもついていたはずです。小松が詩織さんを恐怖で支配し続けられたのも、これらの力をことあるごとにちらつかせてきたからでしょう。この力の存在におびえながら、詩織さんは小松のいいなりになり続けました。自分や家族、友達に危害が及ばないようにするには、そうするしかなかったから。
詩織さんへの異様な執着
本書を読めば読むほど、小松和人の詩織さんへの執着が異常なものだとわかります。読んでいてぞっとするくらいに。可愛さ余って憎さ百倍どころじゃ済まないのです。おそらく一目惚れだったのでしょう。
独りよがりな愛情表現。だんだん高額になってくる贈り物に詩織さんが怖くなってきて、受け取れないと断った途端に豹変した人格。「俺がこんなに愛しているっていうのにわからないのか?!」と激高するのは、小松和人の異様さの片鱗でしかありませんでした。
怖がる詩織さんを見て楽しんでいるのではなく、詩織さんを逃さないためにはそれしか思いつかない小松の稚拙さ。詩織さんやご家族を中傷するビラをばらまいたのも、自分の愛を受け止めてくれない詩織さんへの怒りからくるものです。辱めて追い詰めて、制裁をくわえる。自分から逃れようとするとどうなるか身をもって知らせる。そういう風にしか自分の気持ちが表現できない。「詩織は俺とずっと一緒」
本書を読み進めていくと、小松には精神、あるいは脳に障害があったのだろうという思いが強くなります。例えばこの男が書いたあて名のない遺書にはこう書かれていました。
「天国には行けない・・・・」
おまえみたいなやつが天国に行こうと思っていたことがすごいなぁと思うんだけど、小松はきっと天国で詩織さんに会いたいと思っていたことでしょう。そういう男なんですよ。狂っているから。
こんな狂っている男に一目惚れされてしまった詩織さんは、不幸だと改めて思いました。
あなたも気をつけて。小松のような男は、きっと一見いい人だから。
メディアの印象操作
詩織さんは警察に見殺しにされ、小松が雇った人間に殺され、そしてメディアによってもう一度殺されました。事件が起こった当初、詩織さんを冒涜するようなニュースばかりでした。
厚底ブーツ、プラダのリュック、グッチの時計、黒いミニスカート。
ここまで被害者の外見に関して細かく報道されたのはどうしてだったのでしょうか?
「ブランド狂いの女の子が男に散々貢がせたあげくがこの結果」「警察の対応に問題はなかった」という印象を世間に与えたかったからでしょう。それは成功しました。ご遺族は深く傷つかれました。
だけど「桶川ストーカー殺人事件 遺言」の著者・清水潔さんの執念深い取材のもと、事件の真相と警察の腐敗が明らかになり、上尾警察署は記者会見を行うことになったのです。
人が死んでいるというのにこんなにへらへら応答する人間は、小松同様真冬の屈斜路湖に落ちて死んでもバカは治らないでしょうね。
死人に口なし。しつこいストーキングのあげく殺されたうえ、己の名誉を守ることしか頭になかった警察と、そして警察から提供された情報だけを発信したメディアに尊厳を踏みにじられた詩織さん。メディアによって「遊んでいた派手な女子大生」のイメージが受け付けられた女の子は、どこにでもいる普通の女の子でした。
それがよくわかるこの一冊は、詩織さんのお父様が「時には苦しくて数行しか読めない日もあった」そうです。