「人生に疲れたら楽園に逃げ込んで心身ともに休めたい」
この場合楽園=南国のリゾートを思い浮かべる人が多いと思いますが、筆者は絶対に北の方へと逃げたくなります。なぜこんなに北に惹かれるのか・・・能町みね子さんの逃北 つかれたときは北へ逃げます (文春文庫) Kindle版を読んだら、今まで筆者がうまく説明できずにいた感覚が見事に言語化されていました。「逃北」(とうほく)という造語からしてもうがっちり心をつかまれたのです。
こうしてみると、私は総合的に、「寒いところ」「曇ってそうなところ」「雪が降るところ」「日本海側」そして「なんとなくさみしいところ」を「北」として認識してるんじゃないかと思う。そして、さみしいところには「果て」の空気を求めてしまう。この先はない、どんづまり。そこに感じるのは閉塞感よりも、空や海が真っ黒い口を開けている空虚な開放感。それを私は「北」だと思っているようです。
(本文より引用)
もうね、能町さんが目指す「北」は筆者のストライクゾーンのど真ん中です。能町さんも筆者もルーツが北にありますから、DNAレベルで北を求めているというのもあるのかもしれません。
夜の闇の中で暗く浮かび上がる、雪に覆われた田園地帯。その闇の中を電車が駆け抜ける瞬間がまたよいのです。その土地に暮らす人も動物もそろそろ寝静まるであろう時間帯に走っている在来線を見ると、がらがらではありますが、まだこんな時間に(といっても都会に比べたら早い時間帯)活動している人がいるのか、その人はこんなに寒い中、これから帰宅しなくちゃいけないのか、などと余計な心配をしてしまうのです。
いやいや、道の駅が充実しているので車にして下さい!
— 萬ゆ美 (@sunmayu_215) May 25, 2021
しかし・・車窓からの景色もたいして特別なものはありませんが、マリアさんならそんなところからも何かを見つけてくれそうですよね😁
これも能町さんが書かれていました!「北に暮らす人達は『ここは何もないよ』というけど、自分は観光地を目指しているわけではないので十分楽しい」というようなことを。そうなのです。例えば青森に行ったからと言って「恐山を目指そう!」とは思わない。もう「青森に来た」というだけでかなり満たされてしまうのは、そこにちゃんと「北」の風土が感じられるから。地元の人達からすると何もないのでしょう。でも北を求めてきた人間からすると、もうそれが贅沢なのです。私なんて実家に帰省した時に録画した北風が吹き晒す裏庭の動画、今でも時々見ては、聴いているだけで寒さが伝わる北風の音を楽しんでいます。北風の音は寂しい。
ところで「北」とはどこなのか。私はどの範囲を「北」ととらえているのか。これは本当に感覚的な問題。私が北だと思うところは来たです。「北っぽい」と感じるところであれば、十分に逃北できます。北緯何度から線を引いてここから上ですってわけにはいかない。
(本文より引用)
というわけで、能町さんが「北っぽい」と感じる地域をあらわした図が描かれていたのですが、島根・鳥取の山陰2県も含まれていました。西日本じゃないか!とつっこまないでくださいね。能町さんが「北っぽい」と感じれば逃北先になります。「寂しさこそ観光資源」と能町さんは書かれていますが、島根、鳥取は観光資源が豊富そうですね。しかも筆者も山陰2県はぜっっったい行きたいと思っていました。この2県には「果て」を感じそうだから。京都北部の京丹後市も同じ理由から「北」を感じそう。
【今後の逃北計画】
一関→奥州→北上→花巻→盛岡と北上していきたくなります。なぜかわからないけど岩手は内陸部に惹かれます。三陸海岸に立って手を合わせることも忘れてはいけない!
— アベマリア (@m_insidethegate) May 24, 2021
#海バックの美学
— ウォルフ (@tVJAqehhYeQn5JZ) May 25, 2021
思い出深いのは山陰本線と五能線ですね。 pic.twitter.com/AnrN1loAIc
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自分が好きな「北」について書いた記事