洗脳は、解けなければ幸せだ

洗脳された人をはじめて間近で見た時、私はまだ洗脳という言葉の存在すら知りませんでした。だけど洗脳された人を見て、とても寂しかったことを覚えています。私が知っていたその人ではなくなってしまったからです。まるで別人でした。

洗脳された人は当時の担任でした

私が小学校四年生の頃のお話です。同級生の中に、ある団体に参加している子がいました。その団体は宗教法人ではなく、農事組合法人ということになっています。その組合の販売車がうちの近所まで来ると、母が乳製品を買ってくれました。親同士の付き合いもあるからでしょう。

f:id:usmilitarybase:20150806095918j:plain

その子が秋の連休に行われる組合の研修会のようなものに、先生と友人数人(私を含む)を誘ったのです。そして皆軽い気持ちで参加しました。
研修会の初日は楽しかったです。見るもの全て新鮮でしたし、全国から子供達が集まっているのも刺激的でした。だけど二日目には既に「ここは住む場所ではないな」と子供ながらに確信しました。
だけどここで暮らしていて幸せな人達もいて、そういう人達のギター演奏にあわせて「天道虫のサンバ」や「グリーングリーン」を歌う。楽しそうに歌っていないといけない気がして、必死で楽しそうに振舞っていたのを覚えています。
朝早く起きて養鶏場で働くのも、二泊三日だからできた。これが毎日だったらきついけど、「自給自足して、みんなでわかちあって幸せに暮らそう。お金なんて必要ない」という生活を求めている人にとっては、ここは楽園でした。

研修から帰ってきたら、先生が別人になっていた

研修中は、同じ場所にいたはずの先生と、ほとんど顔を合わせることがありませんでした。帰ってきて学校で先生に会った時は、特に変わりはないようでした。ところが研修から帰ってきて数日たち、先生に変化が見られ始めました。

「みんなでちゃんと話し合おう!」と言い出したと思ったら、クラスの問題児だったK君を囲むようにして、クラス全員を座らせました。

「それでは一人ずつK君のいいところと悪いところを言ってください!」

こうして個人攻撃としか思えないような授業になりました。そして一人ずつあげたK君のいいところと悪いところは、紙にも書かされて、それをすべてまとめて先生がK君に「お母さんに渡してね」と誇らしげに言いながら手渡しました。それ以降も先生の不可解な行動が続きました。
子供ながらに気づいたことは、先生の目が怖かったということです。生徒と話している時も、生徒を見ているんだけど、実は先生の目には私達なんて映っていないんじゃないかなぁって思うような目。
この先生は私が小学校3,4年生の二年間担当でしたが、私達が5年生に進級する際、先生は「(組合の)村に住みたい」と言って退職してしまいました。村とは研修が行われた場所です。
先生が今でも村で幸せに暮らしていますように。

関連記事:結婚を踏みとどまってしまう宗教と、障害にならない宗教 - マリア様はお見通し