虎之助さんを囲み、撮影会が始まりました。虎之助さんがカウチに座り、両隣には女性が座り、そして虎之助さんは彼女達に腕を回してさぁニコパチ。それを隣に座るメンバーを入れ替えて繰り返すのです。教祖様とのありがたい撮影会風のこの様子、冷静に見てものすごく怖かったです。外国人客の多い店だったので、彼らから見たらさぞ異様だったことでしょう。
いくらおふざけのハーレム状態での撮影とはいえ、既婚者でありながら、大黒様と悪代官を足して二で割ったような嬉しそうな顔をして一枚一枚写真に納まる虎之助さんもどうかと思いましたし(ただの誕生会というよりはファンミーティング)、彼を接待するためだけに参加したんじゃないかと思うほど媚びまくる中年女性達の慣れた様子にも引いてしまいました。
彼女達には虎之助さんとのコネは重要ですから、そのくらいどうってことないのでしょうけれど、若い頃からこうやってセミプロのホステスのように振舞わないと、日本社会を泳ぎ切ることはできなかった悲壮感が漂いました。そしてもうその媚びる癖がぬけず、染みついてしまった様。
30代半ば~40代半ばの彼女達は、20代の積み重ねが成果としてようやく表れる芸術作品です。そして私の目の前にあった芸術作品に名前をつけるとしたら、昭和の遺物というか、「21世紀初頭の遺物」としか思いつきませんでした。今の日本よりも、もっと女性の立場が弱かったあの頃。あの時代を若者として生きた彼女達が、若さを消費しきった後もこうやって必死に女を武器にして生きている姿。
女性なら誰しもある程度男性に媚びないと、自分が目指すところにたどり着けないということは事実です。だけど30代半ば、あるいは40代になってあのように振舞えば、将軍様に定年退職させられてから10年は経つであろう喜び組にしか見えません。
虎之助さんは夫の知人ですから、夫には悪口は言いたくありませんでした。だけどつい虎之助さんを陰でscumbagと呼んでしまいました。虎之助さんは社会的には立派な人ですが、お金はあってもクラスは買えない好例のような人。夫は表情一つ変えず「君が彼によい印象を持たなかったのは、見ていてわかったよ」と言いました。
そして虎之助さんの喜び組の異様さについても話は当然のことながらおよび、なんと説明しようかと思い言葉選びに時間がかかったのですが、一昔前の日本社会の産物・遺物ではあるけれど、oppressed womenとは表現したくなかったのです。oppressedというのは彼女達からは感じられないから。「女は男を楽しませるために存在するもの」ということを何の疑いもなく受け入れてきた彼女達は、日本社会で生きてきても抑圧されているという感じはしません。
日本も海外のよいところをどんどん取り入れて、変わっていかなければならないとは思いますが、もしかすると日本社会は男尊女卑のままでちょうどよいのではないかと、彼女達を見ていて思いました。外国の良い部分を日本社会に取り入れようとしても、他の部分が拒絶反応を起こして、うまくいかないかもしれない。
若い頃から当たり前のように男性に媚びてきたあの癖が抜けきれなくて、そしてこれからも多分ずっとそうであろう年増のホステス集団を雇いたいという熟女バーがありますように。
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