20代の女性が企業に頼らずに生きていくということ


はあちゅう氏の「半径5メートルの野望」のアマゾンのレビューを見てみると、やれ自己顕示欲が強すぎるだの、怒りを本にぶちまけただのと書いてありますが、私はどこをどう読んだらそうなるのかよくわかりません。20代の女性が読んだらためになることがたくさん書いてありましたよ。
やっぱり20代の女性が企業に頼らず、ぜーんぶ自分で背負って生きていくんだから、そりゃタフじゃないとやっていけませんよ。そうやって頑張っている姿が、読む人によっては「自己顕示欲が強い」って言う風に受け止められたのかなぁ・・・。

確かにはあちゅうさんは怒ってる。だけど人のせいにはしない。

例えばインターン(だったと思う)の若造が、明らかに準備不足で、はあちゅうさんに対する敬意のかけらも感じられないインタビューをしたとします。
そうしたらやはりはあちゅう氏としてはむっとしますよね。自分は時間を割いてこうしてやってきているのに、対する若造はやっつけ仕事みたいなノリで来ているのですから。ここではあちゅう氏は怒るし、それは当然だと思うのです。だけど「私ってこんな若造になめられる程度の人間なんだな・・・だったらなめられないような人間になるために頑張ってやる!」と、その「怒り」という感情=負の感情を正のパワーに変えていけるんですよ。
いつまでもぶーぶー言っているんじゃなくて、「バカにされないようなところまで上り詰めてやろう!」とか「足を引っ張ろうとする奴らが手の届かないところまで上っていってやろう!」っていう感じ。そういうところは読んでいてすかっとしました。

半径5メートルにいる人達は、自分を映し出す鏡

本書は結局これに尽きるんじゃないかなぁと思いました。
はあちゅう氏くらいの知名度があると、やはりそれなりの有名税を支払っています。「はあちゅう」という名前の知名度を利用しようと、わらわらとおかしな虫まで寄ってきます。そういう虫に時に養分を奪われつつ、そこから上手に追い払う術を学び

  1. 知名度があるからこそ知り合えた魅力的な人達からさらに濃厚な養分を得る
  2. そうやってまたはあちゅう氏も魅力的な人間になっていく
  3. 虫が飛んでこれなくなるくらい高いところまで上っていける
  4. またさらに魅力的な人に出会う

ということになるのです。自分の半径5メートル以内にいる人達に文句ばっかり垂れている人は、結局それらは自分に見合った人達=自分を映し出す鏡であり、自分の実力であるということが受け入れられない人達なのです。はあちゅうさんはそれを受け入れて、努力をした人であるということです。

 

「才能はない」と謙遜する著者。じゃあ何があるのかというと、「覚悟」です

.才能がないということを誰よりも自分が一番よく知っているといわんばかりに、ひたすらよいものを書こうと努力を重ねる著者。だけど著者はもう会社員ではありません。出社していればとりあえず給料がもらえるという生活をしていないのです。営業も宣伝も、そして面白い文章を書くことも全て自分でこなさなくてはならないのです。
そんなはあちゅう氏がある著名人に、こうお願いしたそうです。

「フェイスブックで紹介してもらえないでしょうか?どんな風に書かれても構わない。名前が売れればそれでいいので」

 名前が売れるということは、先ほども書いたように変な虫だって寄ってきます。痛い思いだってします。お金が欲しい、だけど誰からも好かれていたいなどと思っている人にはまず無理なのです。
だけど20代の女性が思い切ってフリーになって生きていくっていうことは、こういう覚悟がないと駄目なんだなぁと思いました。いや、別にこの世代や性別に限ったことではないんだけど、私が20代の頃は、こんな覚悟なかった。野望もなかったな。

夢は「小説を出版すること」

はあちゅう氏ほどの知名度があれば、今頃小説を出していてもおかしくありません。出版社側にしてみれば、名前が既に売れている人が出す小説というのはそれだけで話題性がありますから、やはり美味しいはずなのです。だけどまだ出版されていない。それはなぜか?
はあちゅう氏が質にこだわっているからだと思います。内容はどうでもいい。とにかく100万部売れるような小説!ではなく、人の心に届くような、そういう作品を出したいのでしょう。著者の作品が読める日が来ることを楽しみにしておりますが、これだけのペースで出版しているとなると、かなりのエネルギーを消耗するので、今は小説に力を注げる状態ではないのだろうなぁと思います。

半径5メートルの野望 

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