ど派手な雨傘に感じた母の愛



小学校高学年になった頃から、身長とのバランスがやっととれるようになったということで、母が持っている傘と同じサイズの傘を買ってもらうようになりました。 母が選んで買ってくる傘はとにかく派手でした。

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photo by princedd

例えばパールのきいた淡いターコイズ地にマスカットが埋め尽くされていて、ゴールドチェーン柄がぐるっとついているというような、ちょっと変わったマスカット地獄風のものなど、一学年200人くらいいた規模の小学校で、同じ傘を差している生徒がいないようなものをあえて選んで買ってくるのです。 友達に笑われるのが恥ずかしかったし、何よりも目立つのが嫌でした。
だけど母に言わせると、目立つことこそが彼女の狙いだというのです。例えば私が行方不明になった場合、目立つ傘を差していれば「何時ごろあの傘を持っている子を○○で見た」というような手がかりになるということ。それから雪国の空は暗いから、せめて自分の娘の頭上だけでも明るい色でありますように、という気持ちを込めて、ど派手な傘を選んで買ってくれていたのです。

そんな母の気持ちも知らずに私は授業が終わってミニバスの練習をした後、小学校の玄関に向かいながら「どうか私の傘が盗まれていますように・・・っていうか誰か頼むから盗んでくれ!!!」と祈ってばかりいました。そして傘たてで異彩を放っている自分の傘を見つけて、母のもう一つの狙いに気がついたのです。

「やっぱり誰も盗まないよな・・・。だってこんな田舎でこんな傘を差していたら、すぐ私の傘だってばれるんだもん」

日照時間が長く、真っ青な空を眺められることが当然のような太平洋側に住むようになっても、ど派手な傘を私に持たせ続けた母の、ちょっとわかりにくい愛情表現を忘れたことは一日たりともありません。

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