静かだったあの人の最初で最期の願い



私の親戚で、肝臓癌で亡くなった男性がいます。信二さんとしましょう。

信二さんはお婿さんで、とても静かで空気のような人でした。閉鎖的な農村の農家に婿入りし、小さくなりながら周りのいうことにはい、はい、と言っているイメージしかありませんでした。

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自分を主張することはまずなかったし、不平不満も口にせず、常に淡々としていて、こう言ってはなんなのですが、私は幼いながらにあの信二さんというおじいちゃんは生きていて楽しいのかなあと思ったことすらあります。
現在では草食男子という言葉がありますが、信二さんは草食を通り越して草そのものに見えたのです。なんとなくゆらゆらと風に吹かれて生きているというか、感情を表すことがまずなかったから。
その信二さんが肝臓癌とわかり入院したのですが、もうそろそろ家族は心の準備をはじめとした、様々なことを覚悟しなくてはいけない時期にさしかかったある日のことでした。

信二さんの娘さんが押入れを整理していたら、来客用のふとんの下にごつっとした手ごたえを感じたのです。
なんだろうと思ってふとんを引っ張りだしてみると、大きな木箱が隠されていました。そしてその木箱の蓋には黒いマジックで目一杯大きく「信二の大事なもの」と書かれていたのです。
娘さんがその木箱を開けてみると、信二さんが好きだった演歌歌手のレコードや、ずっとつけ続けていた日記帳、家族写真などが入っていました。それらがすべて信二さんが棺に入れて欲しいものであることは一目瞭然でした。

ずっと静かに、自分を主張することなく生きてきた信二さんのたった一つの願いが、自分がこの世を去る時のお供だったということに気づいた娘さんは愕然とし、しばらくそこに一人でぽつんと座ったままでした。
入院が決まった時に、信二さんは自分の余命が長くないことを既に悟っていたのです。信二さんはどんな思いであの木箱に大切なものを詰め、あれほどまでに大きな文字を書き、そして多分見つけてくれるだろうと期待しながら、既に弱っていた体にむちを打ってあの布団の下に隠したのでしょう。