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マリア様はお見通し

普段は何も見えていないふりをしながら、善人面して静かに暮らしています

フェイスブックに投稿される「我が子が言った面白いひとこと」などのエピソードがぜんぜん面白くない時

メディア


結婚を大勢に報告しなかったのは不義理ではなくて、私なりの気遣いでした - マリア様はお見通し」hammer様からいただいたコメントに「私は結婚報告より、子どもが生まれた報告及びその後の成長記録の連投に違和感を覚えます」と書かれていました。
私が思うに、子供が生まれた報告をフェイスブックでやる人は


  1. ただ単純に皆に知ってほしい人
  2. 下に埋め込んだツイートに書かれている「(報告しないと)心配するであろう一部の方」への配慮をしている人達

に分かれるのではないでしょうか。

ツイートされたAkane T.様という方の年齢はわからないけど、「みんなも見飽きているだろうから」というSNSに漂う心理的温度を感じることができるということは、社会に数年揉まれて、心の様々な機微が感じ取れるくらいの年齢の方なのだろうと想像しています。

http://www.flickr.com/photos/99312118@N07/17720546456

photo by @lattefarsan


私は時々こう思うのです。
もしも私達夫婦に子供がいたとしたら、その場にいなければ面白さがわからないような、あるいはその場にいたとしても面白さがわからないような、子供が発したひとことを掬い取って、「面白かった!」とフェイスブックで再現・投稿し、友人達が「別に面白くないけど、多分ここは笑うところなのね」と気遣って「いいね!」を押してくれる。大切な友人達にそんなことをさせる人間に、私は変わってしまうのでしょうか。

子供ができたら自分のシャープな部分が全部丸くなっちゃって、母アベマリアが生まれる。その代わりに友人達が好きだった「鋭いアベマリア」が死ぬ。
このブログだって急に育児ブログ化して、「洗練されている文章が好きです」「痛快で面白いです」と言って読んでくれていた人達が去って行く。
それとも私は新たなステージに立つことにより、人間的により面白くなり、より面白い文章を書けるようになるのでしょうか?

「なんかマリア、つまらなくなったよね」という友は、地理的にはそばにい続けてくれるかもしれないけれど、心は離れていくでしょう。だけど友達と疎遠になってもかまわないほど夢中になれるもの=我が子の可愛さなのかもしれない、とこの記事を書きながら改めて思いました。


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