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浅田真央選手が選び、歩んだ道を振り返る時


キム・ヨナ選手が歩いた道はお天道様が照らし続けてくれた花道で、浅田選手が歩いた道は、木枯らしが吹きすさぶ荒野の険しい道だと思っていた時期があった、と先日投稿した記事で書きました。
その道はバンクーバー五輪の表彰台の一番高いところという、同じ目的地へ向かっていたということ。そして平坦ではなかったということ。この二つの共通点を除いては、どうしても浅田選手の歩んだ道の方が険しかったように思えてなりませんでした。

キム選手の歩んだ道には追い風が吹き、浅田選手には強い向かい風が吹く

コーチとの信頼関係を着実に築きあげて、自分が歩んでいる道に何の迷いも疑いもなく力強く歩み続けたキム選手に対し、年間を通じてしっかりとタラソワコーチに練習を見てもらえた時間は、キム選手がオーサーコーチに見てもらえた時間の半分にも及ばないのではないかという浅田選手。
ルッツ/フリップの踏切エッジ判定の厳格化も浅田選手にとっては強い向かい風となりました。

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あるブロガーの方が「浅田選手はちゃんと親離れして精神的に自立をして、ロシアのタラソワコーチのもとで練習を積むべきだ」と書いたらその記事は炎上しましたが、私も実はこのブロガーの方に同感でした。
タラソワコーチの直接指導よりも日本の居心地のよさや練習環境を優先した結果、浅田選手とタラソワコーチはほとんど一緒に練習をすることなく、バンクーバー五輪を迎えてしまったと思っていましたから。
タラソワコーチとともに練習した時間の長さだけでいえば、浅田選手とタラソワコーチの関係はまるで仮面夫婦だとすら思っていました。


だけど浅田選手は、本当は誰よりも直接指導を受けたかったのではないでしょうか。


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普通、選手がコーチの活動拠点に移って練習をしますから、本来ならば浅田選手はロシア暮らして練習をしていたはずです。 だけど浅田選手がそれよりももっと大切にしたかったのは、亡くなられたお母様が家族みんなと過ごせる時間なのではないかと、今になって思うのです。

一日でも長く母のそばにいたい

キム母子のように目標に向かって力強く二人三脚したかったけれど、ロシアには母・匡子さんにとって最善といえる治療・生活環境がないため、アメリカを拠点にしていた時のように、現地で匡子さんも一緒に暮らしてサポートしてもらうのは不可能です。
病状からして、もう残された人生が長くはないと家族の誰もが覚悟できていたから、家族そろって過ごすことを第一に考えた。

家族みんなで短くても濃い時間を過ごすことを選んだために、専属コーチに導いてもらうことなく、一人で迷いながら練習を続ける日々が続く娘の姿を見るのは、お母様も辛かったと思います(あくまでも筆者の推測です)。
だけど「できるだけママの近くにいてあげたい」という道を選んだ娘は、その道をもがきながらも歩き続けました。その姿を見てお母様も、もう自分がいついなくなっても大丈夫だろう、と安心できたのではないでしょうか。

暗くても険しくても、共に歩むことができた幸せ

バンクーバー五輪の金メダルの輝きに吸い寄せられるように延びている道を歩むキム・ヨナ母子を見ていて、何度も羨ましいと思いました。なぜ浅田母子には同じような道が拓けていないのか、とも思いました。
だけど「なんて可哀想な浅田母子」と思っていた自分は、何もわかっていなかったのです。まぶしすぎるほどの輝きに照らされていない道でも、強い絆で結ばれた母子が最後まで共に歩むという幸せを、私はわかっていなかったのです。

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