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マリア様はお見通し

普段は何も見えていないふりをしながら、善人面して静かに暮らしています

ピアノレッスンは贅沢な情操教育である

自分の子供時代を思い返してみて、親が自分に投資してくれたお金の使い道でもったいなかったとは思わないけど、申し訳なく、またありがたく思うのがピアノレッスンです。

ピアノ演奏で食べていける人はほんの一握り。だからあまりリターンは期待できない情操教育。それがピアノレッスン

Piano

ピアノを習ってうまくなったらピアノで食べていこう!といって実現する人は、ほんの一握りです。職業も演奏家になるか、ピアノ教師になるかくらいしか選択肢がありません。演奏家は一流にならなければそれだけで食べていくのはとても厳しい不安定な職業でもありますし、ピアノ教師の収入もたかが知れています。
このように「食えないもの」に投資するわけですから(そもそも情操教育は食えるか食えないかとか関係ありませんけどね)、親御さんにしてみれば無駄な投資と思えるでしょう。だからこそ私は今、そういう情操教育にお金を出してくれた親に感謝しています。

ピアノレッスン歴

親の投資の甲斐もなく、こうしてどこにでもいる主婦をしている私がピアノレッスンの素晴らしさを語ってもあまり説得力はないのですが、語らせてください。私は全く個性も教え方も異なる三人の先生から習いました。

一人目の先生:田舎者に見えなかったお洒落な先生。別れは置手紙で

年齢不詳のタバコ臭い先生でしたが、田舎で生まれ育った子供である私にも、その先生がとても垢ぬけていて、お洒落な大人であることはわかりました。 古くて小さな家を借りて開かれていた小さな教室でした。
ある日私がいつものように通うと、教室の入り口のドアに鍵がかかっていました。曜日を間違えちゃったかな・・・と思いましたが、私を送ってくれていた母の車は既に走り去ってしまった後で、確かめようもありませんでした。
10分くらい近くの神社で待つと、先生が「ごめんね~」と言って現れたのです。反省の色はまったくなしで、彼氏らしき男性とテニスをしてきた帰りのようで、手をつないで歩いてきました。テニスウェア姿もとても素敵な先生でした。
こんな先生でしたが、幼かった私は好きでした。プロ意識の有無なんて子供にはわからないのです。「この先生は、うまくできなくても叱らない」。それだけで十分だったのです。
だけど習い始めて一年も経たないうちに別れはやってきました。教室に行くと、ドアに「マリアちゃんへ」と書かれた封筒がはさまれていました。そこには7歳の子供にもわかりやすいよう、ほとんどひらがなで書かれた手紙が入っていました。
「先生はしんちゃん(彼氏と思われる男性)とお別れすることになったので、東京に帰ります」
先生の引っ越し先の住所、そして「お手紙ください」というひとことで締めくくられていました。

初めて習った教材

7歳の時に使った教本。今でも忘れません。「どこかで聞いたことがある」という曲ばかりで弾きやすかったです。

二人目の先生:美人だけど目が笑わない先生

小学校4年生になってレッスンを再開しました。ピアノを教わるというのは、こういうことなのかというショックを受けました。まずは環境の違い
一人目の先生の時は、アップライトのピアノを使ったレッスンでした。だけど二人目の先生は広々とした部屋に、ちゃんと調律されたグランドピアノと電子ピアノを置いていました。電子ピアノは待ち時間を利用したウォームアップ用です。
私が育ったのは雪国ですから、ちゃんと暖かくしていても冬期間は教室に到着してすぐに指が動くわけがないのです。ですからレッスンの5分前くらいに到着するようにして、自分の前のレッスンの生徒の終り頃に、ヘッドフォンをつけて電子ピアノで自主練習をして自分のレッスン開始に備えていました。

全音の教本との出会い

この先生に習い始めて、全音のくすんだブルーの教材シリーズを習い始めました。バイエル、ハノン、ツェルニー、ソナチネ、ソナタという風に、少しずつ教材の難易度があがっていくのがわかり、上達しているという実感を初めて得ました。
ですから教本に沿って基本をこつこつ、という地味な練習もまっったく苦にならず、黙々とできました。だけどハノンのあの単調な練習曲を延々と聞かされていた家族達は発狂する寸前だったと思います。

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だからといって、一人目の先生が選んだ教材がしようもないものだったかというと、そうではありません。7歳の私にはあの「見てすぐに弾けるようになるレベルの曲」が集められた教材がちょうどよかったのです。音楽の楽しさを知りました。
これらの練習曲集と、先生が指定する自由曲1曲。あまり好きでない曲が自由曲に選ばれると、練習のモチベーションが上がりませんでした。

オルガンで練習する限界

どんなに速く上達しても、帰宅すればオルガンでの練習・・・。そうです、私は11歳になる直前までオルガンで練習していたのです。鍵盤の重さも音質も全く違うし、レッスン曲を弾くにもオルガンでは鍵盤の数が足りなくなってしまいました。足りなくなったらどうするのかというと、しようがないので1オクターブ低いところで弾くのです。
その結果、レッスンに行くとグランドピアノが弾けることで舞い上がってしまい、曲を楽譜に忠実に弾き、表現することに集中できないのです。作曲家が聴いたら憤慨するような演奏をのびのびとしていました。

「マリアちゃん、オルガンで練習してこんなに上手なんだから、ピアノで練習できたらもっと上手になるのに・・・もったいないわねぇ」

先生がそう漏らす回数が増えてきました。
そしてある日こういわれました。

「来週のレッスンの時、先生がマリアちゃんのお母さんとお話がしたいってお母さんに伝えてくれる?」

私、叱られるのかな・・・と思い、母には伝言をしませんでした。だけど当然先生は子供のことなどあてにしていませんから、直接我が家に電話をしてきました。母はだいたい先生のトーンから、何のことについて話したいのか推測できたようでした。

続く