一見それとわかりにくい疫病神達


今日で2018年の半分が終わりますので、節目にちょうど良い記事を書こうと思います。
久しぶりに人間関係の整理をしました。今回さよならをしたのは三人です。いっきに三人ではなく、彼女達全員に対してずっと抱えていたもやもやは、それぞれ異なるタイミングで晴らしました。
彼女達の共通点は、それぞれ一見いい人そうで、しかも皆話が面白いということです。だから疫病神とはすぐにはわかりません。だけどつきあっていくうちに「もしかして彼女達こそ関わってはいけない人なのでは・・・」と感じてしまうような、気にかかる点が増えてきました。私の感じていたことを的確に代弁してくれているツイートをシェアします。

Evil

その話を鵜呑みにして同情して大丈夫?一つのストーリーには登場人物の数と同じ数だけ側面がある

私は疫病神達が語るストーリーの裏側を知ろうとも、想像しようともしないまま、疫病神達が一方的に語る独りよがりな話に違和感すら持たず、何の疑いもなく聞き、同情していていました。だけどある日冷静になって考えてみると、話が変だと気づくものなのです。恥ずかしいですねぇ(苦笑)。
今回さよならした三人のうち、二人の悩み相談を受けてていて感じたものなのですが、どう考えても話がおかしいのです。この違和感は信じて間違えないですね。
確かに世の中には邪悪な人間が大勢いますから、トラブルに巻き込まれることだってあるでしょう。だけど彼女達の話を聞いていると、被害者として語られているそのストーリーの反対側を聞きたくなってしまうのです。
「どうしてそんなことになるの?」と思わざるを得ない展開で、本当に加害者だけが悪いのか、そして彼女達は本当に被害者なのかと疑りたくなりました。そんなことになってしまった経緯で、明らかに彼女達が話していない部分=自分達にとって都合が悪くなるため話せない部分 が確かにあるのです。

ドラマクイーンという名の疫病神達は、天使の姿をして近づいてくる

そんなひどいことばかりされて、彼女達はよほどお人よしなのだろうと思いますか?そうではありません。詳細は控えますが、お人よしに見えて相当したたかで卑しい人達であることがわかりました。しかもそのうちの一人は典型的なドラマクイーン。苦労している自分が好きで、苦労させてくれる人を必要としている女性。適度に苦労させてくれる人と出会えれば、幸せな共依存生活に浸れるでしょうに・・・。

「私、メンヘラだから」と自虐的な女性

残りの一人はドラマクイーンでもないし、トラブルを呼び込んでおきながら被害者目線でうっとりとストーリーを語る人でもありませんでした。ではなぜさよならしたのかというと、メンヘラはそう簡単に治らない、変わらないとわかったから。
彼女も話が面白い人でした。だからメンヘラじゃなくなったらすごくいい友達になれるだろうと思っていたし、メンヘラは30歳くらいになれば自然と矯正され、治癒するものだと勘違いしており、無駄に望みを持ってしまったのです。だけどメンヘラは歳を重ねると、その特性がさらに強くなるということもあるのだと学びました。


こうやって時間を奪っていく人達は、初期症状がないため、病気とはなかなか気がつかないタイプの厄介な病気なような存在です。彼女達が近づいてきても、警戒することができない。その分見るからに厄介そうな人よりも、実はずっと面倒くさいのです。
さあ、失われた時間を取り戻さねば!!!そして三人追い出した分スペースが空きますから、そこに素敵な人との出会いが舞い込んでくるのを待つのみです。
彼女達との楽しい思い出?それはそれでよいのです。思い出は誰にも奪われません。もう必要としてもいないのに、勝手に私の心の中で生き続けるかもしれない。彼女達とつきあい続けたら、もっと楽しいこと、楽しい人に出会うチャンスを逃してしまう。


若いお嬢さん達は、この違和感直感、大切にしてください。質の良いバイブを感じながら10代、20代を過ごしてほしいです。女としての仕上がりや婚活にも多大な影響を及ぼしますから。

◆筆者が若い頃のお話:下半身の緩い女の子・聖子ちゃんに連れていかれたキャンプで見た悪夢。そしてそこで心に決めたこと
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