スターになるべくして生まれてきた人

 

多くの星が美しくきらめく空の中で、いつまでも輝き続ける星でいることはとても難しいものです。ついこの間まできらきらしていた星が姿を消していく、残酷なまでに競争の激しい世界で輝き続けた安室奈美恵さんは、スターになって輝き続けることを宿命として与えられた人のようです。誰とも違う輝きを放つ星になるべくして生まれてきた人。
安室さんのお母様、平良恵美子さんの著書である約束―わが娘・安室奈美恵へ を読むと、安室奈美恵さんは随分と早く退路を断ってしまった人なのだなと思いました。
「自分は歌って踊って食べていく!」もう自分は絶対それしかやりたくないと決意したのは、おそらく彼女が中学生の頃。これがうまくいかなかったらあれでいこうというプランBは、彼女にはなかったのです。
絶対に売れてやる。
恵美子さんの著書を読んでいても、まだ中学生だった安室さんの覚悟がとても強かったが伝わってきました。だけどどうやったら売れるのかなんて中学生にわかるわけがありません。沖縄のスーパーに設置されたテンションの上がらない催し物会場のようなところでパフォーマンスを披露するような下積み生活の後、東京に進出し、本格的にアイドルとして活動し、それから歌姫になりました。ほんの一握りの人しかなれない存在になったのです。

外見の良さ、パフォーマーとしての能力、時代の流れに乗れた運の良さ、凄腕のイメージ・コンサルタントやマネジメント・・・どれ一つ欠けても稀有の歌姫にはなれなかったわけですから、彼女はやはりスターになる人の頭上にだけ輝く星の下を選んで生まれてきたのでしょう。スターになることが宿命だったとしか思えません。

イタリア系アメリカ人を祖父に持つクオーター

母・恵美子さんはイタリア系アメリカ人の父親と日本人の母親のもとに生まれ、そのエキゾチックな外見を理由にいじめられたそうです。現在著書が手元にないため、以下はうろ覚えですが、恵美子さんいわく「内地の人は沖縄にはアメリカ人とのハーフで顔立ちがはっきりしている人が多いと思いがちですが、そういう人が多いのは沖縄市であって(自分達が暮らす)那覇市は違う」とのこと。
そしてその恵美子さんから生まれた安室さんは、兄妹の中で一人だけ肌の色が違い、突然変異としか思えなかったそうです。その突然変異のルックスが、のちに日本に社会現象を巻き起こすことになるのです。

お金があとからついてきた

まだ演歌に人気があった昭和時代、演歌歌手の多くは赤貧というべき幼少時代を過ごしており、その苦しく惨めな生活から自ら抜け出し親にも楽をさせてやりたいという目的で、一攫千金を狙って芸能界に入った人達がほとんどです。これは演歌歌手に限ったことではなく、ポップスを歌う歌手も強いハングリー精神を持った可愛い女の子達が多かったのです。
安室奈美恵さんも赤貧の幼少時代を過ごしていますが、お母様の著書を読んでいるとわかるのは、安室さんが歌手を目指したのはお金が目的ではなかったということ。多少あったかもしれませんが、彼女が歌手として有名になりたいと思ったのは、より大きなステージに立ち、より多くの人に自分のパフォーマンスを見せられるから。
現在でもその人見知りはよく語られる安室さんですが、幼い頃から人見知り、引っ込み思案だったのに、歌っている時だけはまるで別人だったのです。

肌を露出しても媚びがいっさい感じられない


安室さんがマイクロミニを履き、そこから細くて長い脚がすっと伸びる。その姿で踊るわけですから、パンチラ・モーメントがたくさんあるのですが、男性に対する媚びみたいなものがまったく感じられないのも、安室さんの特徴です。AKBなどのアイドルと比べて書いています。比べてすみません。 脚に限ったことではなく、彼女はどんなに肌を露出しても下品になりません。それからもしも浜崎あゆみさんが上の画像の安室さんと同じ格好をしたら、かなりヤンキー風になりそうなのに、安室さんはヤンキーにならない安心感があります。

安室さんを雲の上の存在でい続けさせる仕掛け人

「会いに行けるアイドル」や、SNSを活用し、プライベートをチラ見せすることで人間味を感じさせ、ファンにとってはぐっと身近になってきた昨今の人気芸能人達ですが、この「昔に比べたら身近に感じられる、親近感のある芸能人」になることを安室さんに選ばせなかった人の存在が大きいなぁと私は思います。
本人が持つ華やかさだけでは、別格という存在にまではなれません。
確かに彼女は息子さんが誕生した時も断固としてベビー関係の製品のCMには出ないことにしていたように、母としてのイメージを売るという選択肢に安室さんは興味がなく、歌手としてのイメージを守り抜きました。だけど彼女だけの力では、人間のどす黒い欲望が渦巻く芸能界で安室奈美恵という存在を神格化させることはできなかったでしょう。



浜崎あゆみさんが台頭していた頃、イギリスの音楽史のインタビューに「私はもう終わった存在だと思われているけど・・・・(以下思い出せない)」というようなことを答えていたといわれている安室さん。確かに当時の安室さんに全盛期の頃のような勢いはなくなっていたけど、それでも彼女のように一生を風靡した芸能人ならば、そのネームバリューを利用してバラエティ番組や週末の朝の旅番組に出て小銭を稼ぐこともできたはずです。ママタレとして売っていくこともできました。
人気に陰りが見え始めた時、以前のようには売れなくなったけど、知名度は高い安室さんを使ってお金を儲けたかった人達は芸能界にたくさんいたはずなのです。歌とダンス以外のことをやらせてでも儲けたかった人達。
スター性と実績のある彼女がバラエティ番組に出ればその場は華やかになっただろうし、たいして面白くないことにもあははは!と手を叩いて大げさに笑っていればそこそこ稼げたのです。だけど彼女のファンはそんな安室さんを見たいと思ったでしょうか?
目先の誘惑に惑わされずあるいは興味も持たず、もっと壮大なプロジェクトを仕掛けられる人に出会えたからこそ、ママタレ軍団に混じってニコパチした画像をSNSにアップしてアクセス数を稼ぐ必要も、炎上商法にも頼らずに済んだのです。
人見知りが激しいことで知られる安室さんが、全幅の信頼を寄せることが出来る人に出会えてよかったです。

プライベートの切り売り不要

安室さんは売り上げが落ちてきた頃、プライベートの切り売りをしたいのをぐっとこらえたでしょうか?私はそうは思いません。彼女の美学がそうさせなかったと思うので、最初からする気はなかったと思います。プリベートの切り売りの痛々しさを表現するために、ナンシー関さんの著書にあった一節を拝借します。神田うのさんある女性有名人に関する一文で下。
「歌手や俳優のようにプライベート以外にも売り物があればいいけど、プライベートしか売る物がないのはきつい」というようなことでしたが、見ていてきついけど、生き残るためになりふり構っていられないのが芸能界。だけど安室さんは、なりやふりにこだわりました。

一流モデルが以前のように売れなくなってくると、、セカンドキャリアとしてライフスタイルの提案をしますよね。美容本、料理本を出したり、インテリアの本を出したりして稼ぐわけですが、安室さんは舞台裏をぜっっったいに見せてくれません。だからファンにとっては「知りたい」と思う部分が常にあるのです。それもまたうまい戦略だと思いますし、「きっと安室さんの家には成金趣味のインテリアは置いていないはずだ」などと勝手に彼女のプライベートを想像するのも楽しいものです。

さて、彼女がそうやって偶像であり続ける生活も、あと3か月となりました。やしきたかじんさんが東京で仕事をしなかった理由の一つに「(全国で)顔が知られてしまうのは地獄や」ということがあるそうです。日本で安室さんを知らない人などいませんから、引退したからといって、のんびりと鴨川沿いを散歩する生活もできないかもしれませんし、いざ「のんびりしていいよ」と言われても、どうしていいのかわからないかもしれません。
お疲れ様でしたという言葉はかけたくありません。終着点についた時の達成感と解放感はあるでしょうけれど、どんなに険しい道を歩かされたとしても、それが自分で選んだ道であれば幸せなはずだから。

金銭的に貧しい生活を送った子供時代。
「東京でなんて売れるわけない。どうせすぐ沖縄に戻ってくるだろう」と思っていた我が娘が大スターになり、自分が知らない人を見ているような寂しい気持ちと、娘の活躍を喜んであげたい気持ちの間にいる恵美子さんの心境の吐露、そして新妻としてSAMさんの健康を考えて一所懸命に料理をしようとする安室さんの素顔など、お母様にしか書けないことが読めてよかったです。

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