「過剰な二人」のエネルギー

「また読み返すだろう」と思う本を久しぶりに買いました。

 

過剰な二人は謙虚である

作家の林真理子さんと、辣腕編集者であり幻冬舎社長の見城徹さん。見ただけでもうお腹いっぱいになって本を開く気にならない人も多いでしょう。まさに過剰な二人。お二人がエッセイや自己啓発本を出すと賛否が真っ二つに分かれ、批判する側からはえらそうだの上から目線だの、もうバブル時代は終わったのに時代遅れなどという声が聞かれますが、お二人のような努力をした人達にしてみれば「このくらいやってあたりまえ」のハードルは高く、自分達が当たり前だと思ってやってきたことを書けば「自慢している」と言われます。けれども筆者はお二人が謙虚だからこそあれだけの努力をしたのだと思いますし、濃厚なエネルギーを本を通じて受け取るのも楽しいのです。冒頭の短い対談と、往復書簡のようなやりとりで構成される本です。

定義づけられない唯一無二の人間関係

16年間の絶縁期間を経て、また、二人の関係が始まった。


親友、悪友、戦友、腐れ縁・・・そういった言葉で定義づけられない関係があります。作家と編集者という関係だけではない。林さんの傑作を読むことができたのは見城さんがいたからこそと言っても過言でないほど、お二人は切磋琢磨してきたのですが、何かをきっかけに16年の間絶縁していました。見城さんが林さんを怒らせてしまったそうですが、絶縁に至った理由は本書にも書かれていませんので、それを知りたい人には本書はおすすめしません。

互いのエネルギーの質、量と釣り合う人がなかなか見つからない二人

16年もの間埋められなかった溝ともなると、もう絶縁前と同じようにつきあっていくことはできないと思われますが、そもそもお二人はそれを必要としていないのでしょう。お二人とももう名声も富も手に入れられたわけですから、その知名度だけでもお仕事がどんどん入ってくるのに、本業において挑戦し続けることをやめない。互いに進化し続ける人達です。「あの頃と同じように」といった関係は互いに必要としていないのではないでしょうか。時代の流れの中でその存在を忘れられないようたまに炎上させてみたりという小細工の必要のないところまで上り詰めた者同士ですから。

二人は、いかにしてコンプレックスと自己顕示欲を人生のパワーに昇華させてきたのか。

林さんが16年もの間見城さんを許せないほどのことがあったにも関わらず、再び見城さんが林さんの人生に戻ってくることを許したのは、それだけの年月を経ても、林さんの才能やエネルギーに釣りあい、だからこそそれを理解してくれるのは、結局見城さん以外にいなとわかったからではないだろうかと筆者は思うのです。
彼らももしかすると私のように「バターとか白すりごまみたいな存在の人 が必要なの~」とか言っているかもしれません。だけど林さんと見城さんはバターでも白すりごまでもなく、互いにとってなくてはならない劇薬です。

 

最後に

本書を開いてみていいなぁと感じたのは、まだお若い頃の垢抜けないお二人の写真が公開されていたこと。バブル時代の狂乱という追い風を受けて飛翔したお二人が一緒にお仕事をすることを心底楽しんでいたことが伝わって来ますが、コンプレックスを昇華しきれていない頃の面影が時の流れを感じさせます。

才能を見出し、見出され、また刺激し、磨き上げていく
編集者と作家の関係が濃密な名言の応酬となって一冊に凝縮された文学史上前例のない、とてつもない人生バイブル!

お二人とは住む世界が違いすぎるため参考にならないと思いがちですが、これだけパワフルな二人が乗り越えてきたもの、痛い思いをして力に変えてきたものをたった1300円で読ませてもらえるのはお得だと思いますよ。変な自己啓発セミナーよりもずっと上質!(比べるのも失礼ですけどね)


過剰な二人


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