記憶に残るプログラム

ロシア人のザキトワ選手に関する、アメリカ人フィギュアスケーターのアシュリー・ワグナーさんのツイートが論議を呼んでいます。

「競技としてのアプローチには敬意を払うけど、私はこの設定は無理。もはやプログラムではない。ザキトワ選手は前半に時間つぶしをして、後半ジャンプしただけ。演技ではない。採点システムにおいては問題ないことはわかっているけれど、フィギュアスケートはそういうものじゃない」

私は彼女のツイートに賛成です。確かに採点システムを考えたらザキトワ選手や他の選手がやっていることは理にかなっています。だけどこの採点システムでは、競技としては発展しているのだろうけれど、芸術面では衰退しているように見えてしまう。でも競技者である限り誰だって勝ちたい・・・・。
この現状を憂いながら私が思い出した「計算されつつも美しさが損なわれなかったプログラム」が二つあります。

キム・ヨナさんの2009/2010のFS ピアノ協奏曲ヘ長調

バンクーバー五輪でのヨナさんのFSは圧巻の美しさでした。彼女も採点システムを利用し、得点源になるジャンプはプログラム後半に残したり、さらにジャンプの入り方や飛び方の難易度ををあげそこでも加点を狙ってきました。

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オーサーコーチかあるいは彼女の振り付けを担当していたデイヴィッド・ウィルソン氏だったかは忘れましたが、あのFSについては「ありとあらゆる細部において加点が積み上げられるように計算してある」と言っていましたが、その計算は誰の目にも明らかなのに、「こうやって得点積み重ねてます」的なせこさがまったく感じられなかった。プログラムとしてのまとまりが素晴らしくて、美しかった。せこさを感じさせなかったのが、キム・ヨナ選手の力だったのでしょう。
しかも彼女はジャンプも助走の速さを利用して跳ぶから力まない。だから「あ、跳ぶぞ、跳ぶぞ」と観ている側に構えさせない。ジャンプ=あくまでも振り付けの一部みたいにすっとプログラムに溶け込ませる跳び方ができた。後半のあのコケティッシュな入り方からのサルコウなんて、屁の河童っす♪みたいな感じで跳んでいたけど、あれをあの舞台で軽々とやれるスケーターはそういませんよ。あの瞬間、跳んだというより舞ったよね。
キム・ヨナさんのを越えるTESを叩きだすプログラムを見ても、心に残るものや心が揺さぶられるような感じがまったくない理由がわかったということ。記録にも記憶にも残るプログラムを作ることは難しい。

2.浅田真央さんの2005/2006のFS くるみ割り人形

二つ目は、浅田真央さんの2005/2006のFS「くるみ割り人形」は、新しい採点システムをかなり積極的に利用したとても戦略的でなものありながら、プログラムとしても楽しかったです。

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「点数が1.1倍になる後半に連続ジャンプが控えているので、体力温存してまーす」という感じがこれっぽっちもなかった。あれを振り付けたロリ・ニコル、そしてそれを滑り切って完成品として見せてくれた浅田さんはすごかった。
当時浅田選手が新しい採点システムを追い風にめきめきと頭角を現してきていることについてコメントを求められたスルツカヤ選手が「まだただの子供でしょ」と一蹴したのは今でも記憶に新しいのですが、その子供っぽかった浅田選手が楽しそうに滑るくるみ割り人形は、情感たっぷりに滑るスルツカヤ選手に比べれば、確かに子供っぽかったでしょう。それは年齢を考えれば当然です。ジュニアから上がってきたばかりでしたし。
だけど背伸びせずに演じていたあのくるみ割り人形は、とても可愛らしかった。マスコミのあおりも大きく関係していますが、本当にセンセーショナルでしたよ。
ジュニアからシニアに上がろうとしている選手達が背伸びしようとする場合、タンゴが人気ですが、ジュニア選手が滑るタンゴを見る度に、浅田選手の愛らしい「くるみ割り人形」が懐かしくなるのです。

ワグナーがザギトワの演技批判「フィギュアの全てではない」 - 平昌冬季五輪2018 - SANSPO.COM(サンスポ)

 


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