標準語には存在しない美しい言葉

 


私の故郷の方言は関西弁と違って市民権を得ていません。ですから首都圏で大きな声で話すのは少し気恥ずかしいため、私も人前で話すことはほとんどありません。
だけど自分では標準語を話しているつもりでも、時々都会で生まれ育った人に「それ何?」と聞かれることがあります。その時になって私は初めて、それが自分の田舎の言葉であることを知るのです。


例えば「夏忘れ」という言葉。

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photo by Evil Sivan


標準語だと思っていました(笑)。
この単語を認識し始めたのは小学生くらいからかなぁ。母がよくこんなことを言っていたのです。

「今日はパパが夏忘れで遅いから、外に食べに行きましょう!」
「今日はパパが夏忘れで遅いから、ママにご飯サボらせて。今日はこれだけです」

ああ、パパは会社の人達とお酒を飲みに行ってるんだ、と思いました。だから日本人が季節や時の流れの中で区切りとして設ける宴席というのは、夏忘れ、忘年会、新年会の三つだと思っていたのに、都会には夏忘れがないというのです。

標準語の暑気払いにあたるのかといわれると、それとも違うのです。OLさんがくねくねしながらお目当ての男性社員に「暑気払い連れていってくださぁい♪」とおねだりして、じゃあビアガーデンにでも行こうか、というノリとは違うんですね。
では夏忘れって何なのかというと、読んで字のごとく夏を忘れること。 残暑という言葉がTVの天気予報で聞かれ始める頃に、きんと冷えたビールを皆で飲んで夏に別れを告げる。そして実りの秋を待つ。共に別れを告げるのは、家族でも友人でも恋人でもいい。同僚や上司でもいい。
夏忘れという響きは寂しいけれど、それに続く豊穣の秋を思い浮かべると美しいなあと思います。稲刈りの終わった後の田園地帯から漂ってくる、乾いた、焦げたような香り。水稲の緑の絨毯がなくなってしまった後は、黄金のフロアが顔を出すというわけです。
四季のある場所で生まれ育ってよかったです。

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