マリア様はお見通し

普段は何も見えていないふりをしながら、善人面して静かに暮らしています

教会はトイレやお化け屋敷みたいな場所だ

青い海、豊かな自然の中に点在する教会。しかもその教会は、誰かが自分の権力を誇示するために作った大きな教会ではなく、画像中の教会のようにひっそり、こじんまりとしています。

Gorin Church, Hisaka Island

そんなものを見たくて五島列島に一度行ってみたいと思っていますが、教会というのは外から見た場合と、内側に入っていった場合ではかなり様子が違うと感じます。
中に入ってみると、他の誰も、どこも受け入れられない・受け入れたくないものを受け入れてくれるトイレのような存在であったり、魑魅魍魎が集まったお化け屋敷のようなのです。

キリスト教会というと、新興宗教と違って胡散臭さがありませんよね。後者は迷える人々、苦しむ人々を飯の種にして幹部が私腹を肥やし続けていますが、前者は苦しむ人々を受け入れ、導くためにお金を請求してきません。それだけでクリーンなイメージを持ちますし、確かにクリーンでしょう。
だけど教会側は大変だと思います。神様のお導きがあっても、結局行きたい方にしか行けない強者達が集まってくるのですから。

トラブルを抱えた人が集まる場所 それがキリスト教会

プロテスタント、カトリック、その他と宗派は分かれますが、宗派に関わらず、教会に熱心に通う日本人で、まともな人に会ったことがありません。
家系が代々クリスチャンで、それで自分も教会に通うことがあたりまえになっている人は別ですよ。

「教会に毎週通わない信者は、信者として認めない!」「あなた今週は礼拝に来れないの?じゃああなたの分まで祈ってあげるね」
そんな風に熱心に通う人はたいてい問題を抱えています。極端な例を挙げると、ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件の犯人とその両親も教会に通っていました。

私が実際に知るサンプル一人目は、私が一緒に働いた人です。
この人と携帯で連絡がとれなかったため、自宅に電話したところ母親が出ました。私が「〇〇さんの同僚で、あべと申します。いつもお世話になっております」と名乗ったところ、返ってきたのは「はぁ。それで?」。
この親にしてこの子あり、と思った瞬間でした。実は〇〇さんは色々と問題がありました。彼女が依願退職せざるを得ない方向にもっていって、それから半年後に周囲の望んだとおり、依願退職していきました。
二人目のサンプルは、中年の主婦でした。夫と子供達を捨てて若い男と家を出たけど、一年もしないうちにのこのこ戻ってきた人でした。
表向きには「やっぱり家族を愛している」というのが理由でしたが、おそらく金の切れ目が縁の切れ目ってやつで、若い男との火遊びに飽きて資金も底をついたため、裕福な暮らしが恋しくなったのでしょう。

救われたい、許されたい

北朝鮮に拉致されたまま、いまだに日本への帰国がかなわない横田めぐみさんのご両親もクリスチャンです。横田夫妻がお祈りやバイブルにどれほど救われていることでしょう。

夫妻のように、もう自分達だけでやれることには限界があり、それらをやりつくし、疲れ果て、もう心がずたずたになった人達の心のよりどころにもなる教会。
「3歳で、ぼくは路上に捨てられた」の著者ティム・ゲナール氏も神と出会い改心しました。
だけど夫妻のように自分達ではもうどうにもならない問題を抱えた人ではなく、自分自身の問題を他人や環境のせいにしている人や、自分ができる努力もせずに救われようと思う人達集まってくるのですから、教会は大変です。
そういう人が問題を作り出している自分を見つめよう、改心しようと思わずに、ただ救われたい、許されたいという利己的な考えを持って集まり、バイブルを読んでどのように解釈しているのか。
それとも「教会に毎週通うだけでよい人間になれる」という超他力本願なのか・・・。

どこぞの宗教団体のように、お布施の額と新聞の勧誘行動で信仰心が判断されるのはおかしいと思います。だけどお金=汚いとも言い切れません。こういう大変な人々を受け入れる場所=教会が運営を続けていけるように、最低限の維持費は必要だと思います。

 

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