母が読んでいる本を見て、自分の親不幸ぶりを目の当たりにしました

ある中学生がこんな話をしてくれたことがあります。

「私は不登校だけど引きこもってるわけじゃない。学校に行けないだけであって、外に出るのは楽しい。だから母の本棚に、引きこもりの子供を持つ親のための一冊みたいなものを見つけた時、ショックだった。ああ、やっぱり親の心に負担をかけているんだなぁって」

あなたにもこの生徒と同じような経験はありませんか?

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photo by Quite Adept


人の本棚に置かれていたものを見て、反省したり、変にメッセージ性を深読みしてしまったこと。私はあります。

時々帰省しては、母専用の物置と化した自分の部屋を見に行くのが楽しくもありました。そして空になったとばかり思っていた自分の本棚に、一冊だけ本が置かれていました。
瀬戸内寂聴さんのエッセイでした。

今まで母といえば小説や料理本しか開かない人だったので、瀬戸内寂聴さんのエッセイという選択に驚き、また見てはいけないものを見てしまった気持ちになったのです。
母は救いを必要としているのではないか。

当時母は祖母(母にしてみれば義母)の介護をしていました。施設のショートステイなどを利用するようになってだいぶ楽になったわ、といいながらも、大変であることには変わりありませんでした。
それまではよくうちに遊びに来ていた小姑達(母にとっての義姉達)も、祖母の認知症がひどくなってからは寄り付かなくなりました。

やっぱりしんどいんだ。

そう気づいておきながら、当時既に関東に暮らして好きなことをしていた私には、田舎に帰ってくるという選択は、一瞬脳裏に浮かび、すぐに消去されたものでしかありませんでした。
「帰って来て欲しい」と言われないことに甘えて、自分から「帰ろうか?」と言わなかった私。好きなように生きさせてくれてきた母に、またそこでも甘えようとしている自分。
「親不孝!」と言われたら、少し気持ちが楽になったと思います。だけど母が自分の娘に、そして他の家族にも言えない、どうせ言ってもわかってもらえない苦しみを抱えながらその本を読んでいる姿を想像すると、自分がしていることをつきつけられるのです。
たった一冊の本の存在は、時にここまで強く人の心に語りかけてくるのです。私が好きな場所で、好きなように生きていられるのは、母のおかげだと思いつつ、恩返しがまだできていない私です。

 

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