静寂難民 


私が時々利用している喫茶店があります。

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以前は近所のスタバを使っていました。どの時間帯に行っても素晴らしい眺め。海に面してガラス張りになっているつくりのため、昼間はさんさんと自然光が差し込み、夜は海辺の遊歩道を照らす外灯の光がロマンチックで好きでした。二階のテラス席が空いていたらもう超ラッキー。3月下旬~5月下旬、10月はこのテラス席で海を見ながらコーヒーを飲んでほっと一息つくのに最も適した季節です。

だけどそういうところってやっぱり人が集まるんですよ。

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誰だってコーヒー一杯の値段で素敵な空間でほっと一息つきたいじゃないですか。大きな声で話すギャル、ギャル男、子供が走り回って叫んでいても注意すらせずお喋りに夢中になっている親達。

眺めは最高だけど、もうこのコーヒーショップには静寂がない。

そう思った私は、記事のトップで紹介した喫茶店に通うようになりました。
この喫茶店に通うようになって気がついたことですが、静寂という商品・サービスを求めている人達というのは、大人と子供の棲み分けを必要としていないのです。
この喫茶店に来る人は静寂や昭和のレトロな雰囲気を求めています。ですからそれを求めてやってきておきながら、自らそれをぶち壊すということは、どんなに若くても絶対にしないのです。
例えばこの喫茶店には若いB系のファッションに身を包んだ男の子達の団体も来ますが、煙草とコーヒーを楽しみながら、静かに語っているんですよ。ヤクザの人達が来店しても、同様に静か。
中学生くらいと思われる子達もいたけど「あんた達そんなに大きな声で話したいならマックにでも行ってよ!」と言いたくなるような子達ではありませんでした。皆年齢のわりにとても落ち着いている。

多分みんな、この喫茶店に辿り着くまでに色々なところでコーヒーを飲んでいたのです。だけど静寂を奪われてしまった。その結果、静寂難民となりあちこち探してみて、この喫茶店を見つけ出したのです。

静寂難民に年齢は関係ない、と私は思いました。客はそのやっと見つけた静寂を大切に守るのです。そしてその静寂の中で、心の平和なんて探しても見つからない、と悟るのです。なぜなら心の平和は、自分で心の中に作り出すものなのだから。