見ていてせつなくなった芸能人



その芸能人を見かけたのは、まだ私が若くてナイトクラビングしていた頃です。
その男性芸能人は狭いクラブのフロアの隅に立っていました。両脇にはエージェントの方なのか、それともただの取り巻きなのか知りませんが、その芸能人よりも一回りほど若そうな男性達が立って、飲んで踊る若者達を男性芸能人と一緒にじぃっと見ていました。
そう。じぃっと。

「気づけ・・・・気づけ・・・・」

そう念じているように見えるほど、その三人はじぃっと客を見ていました。だけど客は皆楽しく踊っているので気がつかない。そして私はその男性芸能人と目があいました。だけど一緒にいた友達に「ねえ、あれってK.M.じゃない?」と教える気にもならず、しらぁっと飲み続けました。

この男性芸能人は一般企業に勤めていたら、間違えなくイケメン上司にカウントされるでしょう。「あんなかっこいい50代すごいよね!」と。(私が見かけた当時はまだ30代後半だった)
芸能人って不思議だなぁと思いました。面が割れて外でゆっくり買い物も食事もできない息苦しさを疎みながら、いざ旬を過ぎてしまうと、今度は逆に注目してほしいと思ってしまうのですから。なんだか見ていてせつなくなりました。誰かが気づいて「あ、川○○世だ!」って騒いでくれるまで待ってる、みたいな感じがせつなかった。
これは政界に進出する芸能人に対して感じるものと似ています。

どう見ても「この国をよくしていこう!」と真剣に考えてくれているとは思えない芸能人が突然出馬する場合、「なんか弱みでも握られているのかな・・・」と思うのです。お金が必要だから、断れなかったのかな、とか。
旬の間にがんがん稼いで貯えておいた芸能人は、その後も贅沢しなければ悠々自適の生活が送れるのでしょう。ブレイクしたけどそれも長く続かず、しかも貯えていなかったからこうなった、という例が、見事な再ブレイクをされる前の有吉弘行さん。 彼が上島竜平さんをディスる時、この上ない敬意と愛を感じるのは私だけでしょうか。今でもすごく恩義を感じているのだと思います。話が脱線しましたが、今日はこのまま終わります。

お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」 (双葉文庫)