努力しているアピールがすごすぎる人



私が書いた小説が新人賞の最終選考に残りました!




・・・・って書きたいわけですよ。
毎日こんなに頑張って執筆しています、っていう過程をブログで逐一報告するんじゃなくって、共有するのは結果だけっていうのがクールで素敵だと思うんです。読む側からしてみれば「え?ずっと頑張ってたの?!」みたいな感じで。
白鳥のように、周囲からは見えない水面下で足を必死に動かしながら、優雅にすぅ~っと泳いでいるように見せられる人は素敵です。
逆に苦手なのが、自分の努力している様子を逐一レポートし、常に励ましてもらわないと努力が続けられない人達。

ある資格取得のために勉強している人が

一日目:「日本語だと覚えられる専門用語なのに、なんで英語だとなかなか覚えられないんだろう?」と言って、勉強しているページの画像をフェイスブックでアップ

二日目:「レッドブル飲んであと二時間頑張る!」と言ってそれを飲んでいる様子のセルフィーをアップ

三日目:「もうかれこれスタバで6時間も勉強してまーす」と投稿


あなたが頑張る姿はあなたがが思うほど人の心を打たないよってつっこみたくなるんですけど(っていうかスタバに6時間平気で滞在できる気が知れない)、他人のふり見て我がふり直せってやつですよね。


応援団は無理をしてかき集めるのではなく、自分が「つい応援したくなる人」になって自然と集まってもらうものです。
頑張っている姿はアピールが過ぎるとみっともなくなるだけ。頑張っているのを隠し通して結果を出した暁に周囲の人にさらっと報告しておしまいにする瞬間になって初めて、この人すごいなっていう風になるのです。
例えば「鶴の恩返し」は、あの鶴があえておじいさんとおばあさんの目に付くところでばったんばったん反物を織っていたら民話として成り立たなかったでしょう?じいさん&ばあさんは「恩着せやがって!」って思いますよ。ひっそり織っていたからよかったんです。

長く苦しい道のりを歩くのは自分一人だけ。黙って歩く。
目的地についたらご報告。長かった道のりのことを話すのはその時でいいです。あんな景色を見たよーとか。 (私の駄文を長年読んでいる方なら、私がロールモデルとして誰を思い浮かべながらこの記事を書いているのか、想像がつくでしょう・・・・・・)

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