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このリンクで最初に書いたオリジナル記事は初回違反レポートをもらった時点で削除ずみです。

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にもかかわらずその後何度も違反レポートを受けています。今回で合計6回目くらいでしょうか。
いい加減面倒臭くなってきたので、再び同じurlで記事をこうして書き直して問い合わせとして利用させていただくことにしました。御社は問い合わせしようにもその問い合わせ先のリンクすら提供されていません。
まるで既に他界した家族あてに同じ人間からしつこく電話がきてそのたびに「ですから前回にももう〇〇は亡くなったとお伝えしました!」と言っているような気分になってきました。これでもう終わりにしてください。削除したのです。それでもレポートが来るからわざわざ同じurlでこの記事を書いております。アディオス。

 

「夏が、終わろうとしている」からとりあえず好きな物を食べたー2019年

cantfoolme.hatenablog.com

四年前、こんな記事を書いていたんですけど、その時も西瓜を食べて夏に別れを告げました。そして2019年の夏も西瓜で〆ました。

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 (実家にて)

お隣さんからいただいた黄色い西瓜。私がこうして食べている間、一緒に帰省した夫は私の読書スポットを占領して「ここで読むために先月買って楽しみに待っていた」という一冊を楽しんでいます。

幼い頃、夜ここにいるとなんだかぞわっとしてなかなか寝付けなかった寝間には、とても心地よい北風が入ってきてもう日本海側は秋が近づいてきたのだなと感じました。

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昼間はまだ蝉の鳴き声が聞こえるのに、横須賀で聞こえるそれに比べると弱弱しく、むしろ夜になると聞こえてくる鈴虫の鳴き声の方が大きく響いているくらい。

私の曽祖父母(ともに明治生まれ)もこの部屋で寝ていました。私達兄弟が幼かった頃、弟がいなくなったと思うと必ずこの部屋に隠れていました。そしてなぜか隅に寄って、一人でキン消し(昭和50年代生まれの方はわかってくれるでしょう)で遊んでいました。キン消し同士を対戦させるわけですから、ぶつぶつ言いながら一人二役をこなしていたのですよ。そして時代が令和となった現在、私の姪と甥が遊びに来るとここで寝たり、折り紙や塗り絵を楽しんでいます。そう考えるとこの部屋は私達を5代に渡って見守ってきたということになりますから、なんだか感慨深いものです。

後妻業の女 筧千佐子の「業」

 

交際相手7人、結婚相手3人 合計10人。
これは「近畿連続青酸死事件」で筧千佐子容疑者が青酸を用いて殺害したとされている人数で、そのうち起訴された案件は4人の死。

「筧千佐子が逮捕される八か月前の2014年3月、マスコミの間では「大事件になるぞ」とささやかれていた。四人目の夫の青酸中毒死疑惑を端緒として始まった捜査で、千佐子と交際、結婚した高齢男性がことごとく不審死していたことが判明したのだ。

(「全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと 単行本」の紹介文より引用)

読み終わってみると京都地裁での一審、大阪高裁での二審ともに死刑求刑も当然だろうと思わずにはいられませんでした。筧千佐子にとって人を殺すということは事務処理とたいしてかわらない。血も涙もないという形容でおさまる女ではなく、なんともいえず気味が悪いのです。
今年に入ってから「どうやったらこんな人間になるんだろう」と最も強く感じた罪人が栗原勇一郎なのですが(あの男はワニの群れが泳ぐ池にでも蹴り落して苦しんで死んでいくところを見たい)、逮捕されたのが数年前に遡るとはいえこの近畿連続青酸死事件の詳細を知ってからは、栗原とは全く異なるタイプの狂人、筧千佐子もどうしてこんな風にしか生きられないのか不思議でなりません。

底が見えない不気味さ

殺された男性達は人生の折り返し地点をかなり前に過ぎ、その先を手をつないで歩いていける女性を探していた人達です。千佐子は結婚相談所に登録し、寂しそうで金を持っていそうな高齢男性(持病があれば尚よし)の匂いを嗅ぎつけては結婚あるいは内縁関係に持ち込み、カプセルに詰めた青酸を飲ませて殺害。もちろん殺害は公正証書遺言を手に入れてから実行。公正証書を手に入れたら、相手が生きているうちから次の獲物を求めて結婚相談所で活動を再開しつつ殺害と夫(あるいは内縁の夫)の死後の手続きに向けて準備に動き出すのですが、この一連の流れを淡々と何度も繰り返して10人を殺害しました。
この本を読みすすめていく間絶えず私の頭の片隅にあった言葉がサイコパスです。

サイコパスをwikipediaで調べてみると、こう書かれています。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

  • 良心が異常に欠如している
  • 他者に冷淡で共感しない
  • 慢性的に平然と嘘をつく
  • 行動に対する責任が全く取れない
  • 罪悪感が皆無
  •  自尊心が過大で自己中心的

  •  口が達者で表面は魅力的

     

これらはすべて筧千佐子にあてはまるのです。以下は10人目の被害者であり筧千佐子の四人目の夫であった筧勇夫さんから千佐子へ送られたメールです。

おはよう。母さん、ご苦労さん。今日は時雨。少し温かい。母さん、今日でメールの交換、最終回になるのかな。お互い頑張ったな。ともに健康で、これからも楽しい人生を過ごしていきたい。明るい老後に向けて頑張ろう。よろしく頼む。

こんな風に自分と歩む新たな人生の展望を楽しみにしてくれている男性と入籍した翌月には既に他の男性と交際を始め、そして勇夫さんを同月に殺害。また殺害実行の直前までの1時間の間に、新しく交際を始めた男性に四回も電話をしているのです。これが次の収穫に向けての種まきだとしたら、普通の人間に理解できる行動、神経ではありません。本書の中で著者の小野一光氏が千佐子のことを「底が見えない」(あるいは底がない)と言い表していた気がするのですが、まさにそのとおり。

Shady

私は過去に何度か当ブログで「本当に危ない人間は看板を出していないからすぐにはそうとわからないもの」と書いています。桶川ストーカー殺人事件の犯人の小松和人は一見狂人には見えなかったそうですし、真性魔性の女だってちょっと見ただけじゃわからない。筧千佐子も同じような感じですが、小野氏いわく、面会中に世間話から事件の話に移ると見せる無表情の途方もなさだけは確かだったそうです。話題が事件の話になった途端スイッチが消えたかのように顔から感情の光が消え、瞳は深海に沈んだように黒くなる。小野氏が今までに出会った犯罪者も同じような目をしていたのです。

サイコパスとしか思えない思考・行動1 七人目の被害者の葬儀にて

七人目の被害者である本田正徳さんの葬儀での千佐子の振る舞いもサイコパスとしか思えないのです。健康だった正徳さんの突然の死に驚きながら葬儀にかけつけた正徳さんの兄が、千佐子と遺産の話をした時のこと。千佐子は「公正証書がありますから」と言って遺産は全額自分が受け取りますとはっきりと言ったのです。葬儀で、ですよ・・・・。「わしが受取人になっている生命保険があるじゃろ」と兄が問うと「それも名前は私に変えてあります」と平然と言いました。千佐子の弁護人は「被告は認知症がすすんでおり責任能力はない」と主張し続け死刑に対し即日控訴したわけですが、認知症の女がこんな風にさくさくと諸手続きをこなせると思えません。しかも同じような手順を何度も。
「長い付き合いじゃないのに遺産を全部あなたがとるのはおかしい」と正徳さんの長兄に言われれば、千佐子は「わかりました。私が全部いただくつもりはありません」といい、何を分けたと思いますか?正徳さんが買った宝くじで、すべてハズレ。こういうことをする神経がわからないというか、そもそもそういう神経がないのかもしれません。まともに話して通じる相手ではないのです。
そして本人も何が本当で何が嘘なのかわけがわからなくなっているのではないかと思ってしまうほど、すらすらと嘘をつく。小野氏も合計22回の面会の中で「ああ、また嘘をついている」と思いながらも千佐子の機嫌を損ねないよう聞き流すことは数知れず。そして22回目の面会で小野氏が千佐子の嘘を問い詰めた時の憤慨する様子と言い逃れ方。もう観念するしかないと思ったのか、耳の後ろに手を付けてアクリル板に顔を近づけて「なんや、今日は先生の声が聞こえんわ」と開き直る。そしてこれが最後の面会となり、手紙のやり取りも終わってしまいました。

サイコパスとしか思えない思考・行動2 自分が犯した罪の重さがまったくわかっていない

千佐子が小野氏にあてた手紙はどれを読んでも彼女は頭がおかしいというか、何が欠落したらこういう人間になるのだろうとしか思えないのですが、その中でも私の背筋がすうっと寒くなったのが以下の手紙です。

とじこめられた場所にいるので人恋しいです。こんな処(? シューン)にいるのに、こんな出会い(? ?)があるなんて夢のようです(夢ならさめないで)。自分がおかした罪が消しゴムで消したいです(夢のようなこと言ってすみません)。だからといって死ぬ勇気もないダメ女です(シューン2回目ですね)どこでくらしても、女ですもの。女ですもの・・・・

 

自分がやったことの重さに対して「消しゴムで消す」という軽い表現を持ってくるところにぞっとしました。本当に千佐子は何もわかっちゃいないのです。自分がやったことがどういうことなのか。殺人に対するハードルが低すぎる。これぞサイコパスです。

千佐子の危なさ、不気味さを見破っていた人達

10人も殺害したこの殺人鬼はぱっと見は無害な普通のおばさんでした。だけどこの殺人鬼の危なさを見破っていた人も当然いたわけです。例えば結婚相談所を通じて見合いをした東大卒の元商社マン。年収は二千万円くらいで年上で病気持ちでしたから、千佐子のストライクゾーンのど真ん中。当然ながら千佐子は写真をはじめとする資料も見ることなく(顔なんてどうでもよいでしょう)この男性との見合いに食いついてきました。ところがこの男性は見合いが始まって15分くらいで「あ、あらあかん」と思い、「あら気いつけなあかんど」と相談所の所長に言ったそうです。
またこれは千佐子がつぶやいたことなので本当かどうかわからないのですが、彼女の息子の嫁が、千佐子の膝に自分の子供を抱かせてくれることは決してなかったそうです。もしかすると、内縁関係も含め次々に夫が変わる義母が何をやっているのか薄々感づいていたのではないでしょうか。もちろん、千佐子の息子や娘も。本書を読んでいても千佐子の口から我が子について語られることがほとんどない。人間として大切な何かが欠落している千佐子でも、その自分と血を分けてしまったことで根幹を同じとすることを我が子達が忌み嫌い恥じていることは理解しているのかもしれません。

千佐子の魅力とは?何が武器だったのか

同性の自分から見て魅力は特にないなと思いました。高齢の男性から見たら若い女性ではありますが、美人でもないし色気があるわけでもない。ただとてもはきはきしていて会話の引き出しも多かったそうです。彼女が利用していた結婚相談所の一つの所長がこんな風に言っていました。「年齢より若いし色が白い。そんなにデブはなし、やせてはいない。男としてはなんらかの魅力はある。なにしろみなその話術に翻弄されるでしょうね。(中略)おたくら百人いたら、九十五人は騙されるでしょうね」
それから筆まめ。あとは自分よりもかなり年上で寂しそうでお金があるターゲットを嗅ぎ分ける嗅覚が発達していたのでしょう。上に引用した手紙からもわかるように、高齢男性だけでなく二十歳も若い小野氏にまで秋波を送ってきたのは「なかば染みついた習慣」だろうというくらいですから、異性を見れば利用するものとしか思わない。
「私が望む人生を送るためには、死んでもらうしかないわよねえ」
それがサイコパス千佐子なのです。


全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと 単行本


外部関連ページ

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うちに何かいる

今週のお題「ゾッとした話」

12歳くらいまでお盆が近づくと憂鬱でした。なぜならお盆になると私の実家ではいつもにもまして言葉ではできない重苦しい「気」が漂ったからです。早く寝静まる農村の夜の闇に浮かぶ我が家の庭の石灯篭の明かりは、幼い私にはいつもと違う妖しい光に見えました。13歳になると、部活動で普段体を酷使するようになったため、夜が来るとお盆であろうとも目を閉じれば3秒で眠れるようになりましたが、それ以前は毎年お盆になると何かしら聞いたり見たりして震えあがっていました。

Nara Chugen Mantoro (2)

それが怪奇現象だったかどうかは、今になってみると自分でもよくわかりません。怖い、怖いと思っているから何かが見えたように、聴こえたように感じるだけだったのかもしれませんから。
「お盆はご先祖様が帰ってくるんだぞ。知らない人じゃないんだから別にちょっとくらい何か聞こえたり見えたりしても怖がらなくていい。マリアに意地悪するわけないんだから」
父がそう言いながら笑ったものです。毎年8月13日の夕方になると祖父、父、兄、弟、そして私の5人でご先祖をお迎えするためにお墓参りに行くのですが、私は父に見つからないように、自分が持たされていた提灯の炎をそっと吹き消すのです。炎の明るさを頼りにご先祖様が帰ってくるのだとしたら、その明かりを消してしまおう。そうすれば彼らは帰ってこれないし、私も怖い思いをしなくていい。だけどすぐに父は気づいてしまい、私の真意など知らない父は「マリアの提灯の火が消えちゃったな。ほら、こちらによこしなさい」と言って私の提灯に再び火をともすのです。お盆の夜特有の気配のようなものに最も怯えていたのは、6歳~9歳くらいだったと思います。

 

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私はその頃この襖の向こう側で祖父母とともに寝ていました。8月でもとても心地よい北風が入ってくる寝間で冷房要らず。網戸にカブトムシがとまっていることもありました。でもその寝心地がよいはずの北向きの部屋で、私はお盆になるとどうしても眠ることができませんでした。両親は信じてくれませんでしたが、確かに誰かが私や祖父母の周りにいて、ふぅっと漂っているのです。
「怖いと思うから眠れないのよ。そんなにこの寝間が怖いなら2階の自分の部屋で一人で眠ればいいじゃない」
母はそう言いましたが、死んだ人達は2階に上がってこれないとでもいうのでしょうか。こういう時、母は絶対に「じゃあパパとママと一緒に寝る?」と言ってくれないのです。理由はご想像におまかせします。
月日は流れ、私は中学生になりもうお盆が近づいているからといってどうのこうのということはまったくありませんでした。
ある日のこと。家庭訪問で担任の先生がやってきました。茶の間にお通しして、私の母と30分ほど雑談をして帰って行かれたとのことですが、先生が座っていた茶の間と座敷の間の襖は開け放っておいたので、先生からは仏壇が丸見えでした。私がその日部活動を終えて帰宅し食卓につくと、母が言いました。
「ねえマリア、今日先生がうちにいらしたのは知ってるよね?先生、反抗期の真っただ中のあなたのことをたくさん褒めてくれたの。ママもあなたのことで先生とゆっくりお話ができてよかった。だけど先生、立ち上がる前にこう言ったの。『マリアさんとはまったく関係ない話なのですが、お母様、ちょっとよろしいでしょうか?』って。何を言われるんだろうと思って構えていたら、こう言われた。『あの、ここに座ってからずっとあのお仏壇が気になってしようがないんです。一度見てもらった方がよいと思うんです』ママ、救われたと思ったわ。実はね、誰にも言ったことがなかったんだけど、寝室で寝ていると、毎日じゃないんだけど時々おかしなことがあって本当に怖い思いをしていたの。よく考えてみたらママ達の寝室ってお仏壇の真上でしょう?それが何か関係しているんじゃないかと、今日初めて思った」

同じことを細木数子が言っていたとしたら「仏壇売りつけられるのかな?」と心配になりますが、私の担任の先生は仏壇・墓石屋とはまったくつながりがありませんでした。そしてなんというか、勘が妙に良い人でした。母は思い切ってこの家で自分の身に起るようになったことを先生に話したそうです。
そろそろ寝ようかな、と思ってTVを消そうとするも消えない。怖くなって父を呼ぼうとするも、声が出ない。すると体がふっと天井まで浮いてしまいそして下に叩きつけられる。夢なのか現実なのかもわからなくなって、気が付くと全身汗でびっしょりになっている・・・・。
そして不思議なことに、その家庭訪問以来奇怪な現象が母の周りで起らなくなったのです。家にいる限りは。旅行先などではやはり「訪問者」が来てしまうようです。


関連記事:「出る」と言われていた峠。乗せてしまったと気がついたのは、峠を越えた後でした - マリア様はお見通し


日本海ひすいラインからの眺め

北陸新幹線に乗って糸魚川(いといがわ)で下車し、えちごときめき鉄道の日本海ひすいライン乗り直江津(なおえつ)へと向かいました。

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 何も考えずに改札を出ようとすると、「ひすいラインの発車まであと〇〇分ほどありますが、もう出られますか?駅員さんから確認されました。田舎の駅員さんらしい温かさが感じられます。ちなみに新潟でJRの職員といったらかなりハイスペックです!

ひすいラインのホームの向こう側には大糸線が停車しています。大糸線から見える景色の美しさを夫に説明したら、冬になったら乗りに来よう!と息巻いておりました。
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ひすいラインの車内は撮影し忘れましたが、通路を挟んで両側に二人掛けの席がそれぞれ10個くらい並んでいる小さな電車です。眺めはこんな感じで、空と海と古民家のみ。

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プールで泳いでから帰宅すると一目散に台所に行き、冷凍庫の中から一番美味しそうなアイスクリームをとって冷房の効いた部屋でTVを見ながら食べていた子供時代を思い出してしまう、ノスタルジーあふれる風景です。
ちなみに我が家に友達や従姉妹たちが集まると、大量のアイスクリームの中からそれぞれ好きなものを選ぶのですが、誰にも選ばれずに残るのはいつも決まって桃太郎(新潟県でのみ販売)でした。

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だけど大人になって帰省し、桃太郎を見た時はすぐに購入してしまいました。これを見ただけで子供の頃の夏休みの思い出が蘇るようです。
しばらく走ると、まだまだこの青のグラデーションと古民家のみという風景が続きます。

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 ここに暮らせと言われたら大変そうですが、こうしてたまに眺めるには最高です。ほんとに高層ビルが一つもない。マンションをはじめとする集合住宅すらない。夫は窓の外を眺めたまま一言も発しませんでした。そのくらい心を奪われてしまうのです。

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直江津に近づいてくると、民家の数も増えてきました。

 

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そして上越市直江津に到着。豪華客船をイメージした駅舎だそうです。

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糸魚川駅を下車した時は「ああ、海が近いんだな」という感じを空気で感じましたが、直江津駅はそれほどでもありませんでした。あたりを散策してみましたが、駅前は寂れていて、とにかく寺院が多く、結局10分ほど歩きましたが海を見ることはできませんでした。私達が変な方向に歩いていたからかもしれません。

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上越市の主要機関や繁華街はおそらく高田駅の方に集まっているのでしょう。夜桜で有名な高田城もありますからね。ただし寂れているといっても糸魚川とは違い若者が結構歩いていました。それにしてもやはり裏日本はどんどん取り残されていっている感じは否めません。こうしてひすいラインに乗ってみたものの、この情緒というか素晴らしいノスタルジックな光景は大人の心を打つことはあっても、子供達は喜びません。だから家族連れ客を呼び込めない。
大人の皆さん、夏の日本海の美しさに癒されに来てください。

 

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