Wendi Deng Murdoch(3)残酷なまでに鈍いからこそ辿り着けた場所

シリーズ(2)では、WendiさんがJake and Joyce Cherry夫妻に出会うところまで書きました。今日は彼らが出会い、修羅場を迎えてその後Cherry一家が崩壊し、WendiはグリーンカードをとってあっさりとJakeさんを捨てたことについて書きます。

医学部に進んで3年目に入る頃、Wendiさんは名前をWen GeからWendiに変えました。名前は自分のアイデンティティそのものですが、だからこそ彼女は記号を書き換えるように洋風の名前にさらっと変えたのでしょう。アメリカ人にとっての発音しやすさを考慮したというよりも、自分が近い将来中国を飛び出して、そのあとはもう中国人として生きていくつもりがなかったからこその選択のようにも思えます。そして勉強に割く時間も医学より英語にかける比重が大きく、その努力が幸運を引き寄せたかのようにCherry夫妻に出会いました。

Study


そして妻のJoyceさんが子供達の学校の準備のために一足早く帰国し、中国に残った夫のJakeさんはJoyceさんに「Wendiの学生ビザのスポンサーになるからすぐに準備をしてくれ」と伝えるのです。この時JoyceさんはまさかWendiさんと夫のJakeさんが男女の関係にあったとは思いもよらなかったのか、あるいは嫌な予感はしていたのかはわかりません。

完全に安全パイだとしか思えない外見の中国人の少女が・・・

私の想像ですが、おそらくJoyceさんは「まさか夫があの子と男女関係になるはずないわ」と思っていたのではないでしょうか。なぜならWendiさんはお世辞にも美人とは言えないからです。

f:id:usmilitarybase:20181224030743j:plain

この画像はWendiさんと、元夫でありメディア王で大富豪であるRupert Murdochさんです。このころ既にお二人が結婚していたのか、あるいはまだ上司と部下の関係だったのかは不明ですが、どちらにしろMurdoch氏は既に相当Wendiさんにつぎ込んでいたはずですし、彼女自身も若手幹部としてかなり稼いでいたはず。お金があってもこんなに地味だったということは、医学生だった頃の彼女はもっと地味で、チャーミングとも言えなかったでしょう。だけど・・・


利発な子。
Wendiさんはこれに尽きたのではないでしょうか。利発な子が自分に尽くしてくれる。そうなってくると、もう可愛がらないわけにはいきません。
Wendiさんがアメリカに渡り、Cherry家にホームステイして現地の学校に通うようになったある日、WendiさんとJakeさんの関係がJoyceさんにばれてしまいました。なんとJakeさんは、中国にいた頃にホテルの自室で撮影したWendiさんの写真を大切に持っていたのです。なんて脇の甘い男なのでしょう。
JoyceさんはWendiさんを追い出しましたが、JakeさんもWendiさんを追って出て行ってしまいました。二人が出会ってからたった3年で結婚しました。Wendiさんは22歳、Jakeさんは53歳でした。

利用価値がなくなった途端捨てられた男性達

結婚して4か月くらいした頃、WendiさんはDavid Wolfという同年代の男性と浮気をし始めるも、Wendiさんはグリーンカードを取得するまでなんとか婚姻関係を続けることに成功。Jakeさんには「あなたは私にとって父親みたいなもの。今までもずっとそうだった」といったそうです。
「僕は彼女を愛していた」

Jakeさんはウォールストリートジャーナルのインタビューでそういいました。またDavidさんは、WendiさんがMBAをとるために入学したイエール大学マネジメントスクールの学費を自分の母親に出させています。Wendiさんは周囲に自らをDavidさんの妻として自己紹介するようにもなったそうです。ところが彼女がより大きなチャンスを見つけた時、彼もまた捨てられてしまったのです。
「二人の間で起こったことは、Davidに深い傷を残した」と彼の知人が証言していますが、彼を傷つけずに、彼との穏やかな時間を大切にしながら生きていくという選択肢は、Wendiさんには真っ先に消去されたでしょう。

着実に夢に近づく。その過程はどうでもよい

英語を教えてあげていた中国人女性に家庭を壊されて傷ついたJoyceさんや子供達、Wendiさんを本気で愛して家族を捨てたJakeさん、アイビーリーグの名門マネジメントスクールの学費を母に捻出させるほど盲目になっていたDavidさん。

夢を実現させるまでの過程が健気だと、その夢を実現させた人は尊敬されます。だけど過程がえげつない場合、興味の対象にはなっても尊敬はされません。でもそもそもWendiさんは尊敬されたいという欲求はないのではないでしょうか。また彼女はempathyと言われるものが欠落しているように思えます。
これは他人の気持ちを理解したり、共感する力ですが、出会って少なからず苦楽をともにした人々を傷つけることなど、自分の幸せと天秤にかけたら本当にどうでもいいことで、おそらく天秤にかけすらしない。冷血とも違う。血が冷たいというより、血の代わりにガソリンが流れているとでもいいましょうか。
運命のドアが開いているのを見たら、そこにたどり着くまでに力になってくれた人への恩義など考えられなくなってしまうのでしょう。断腸の思いとか、そういう感情は彼女の中で決して生まれないであろう感情。ここまで鈍いからこそ、今の生活を手に入れられたのです。empathyがあったら大切にするものの優先順位が変わってきますから。

己の欲望に忠実でタフ、そしてしたたかな「上海ガール」達の頂点

中国を出て豊かな生活をするために、欧米人のビジネスマンとの出会いを求める野心家の女性達について書かれたShanghai Girlsの著者であるLisa Seeさんはこう言います。
「(ウェンディがやったことは)他の国々ではgold diggerと蔑まれるでしょう。だけど上海では『なんというサクセスストーリーなの!そしてなんといっても好機を手に入れたのね!』と言われます。そして上海ガール達はその好機を手に入れたらより大きな成功への足掛かりとして利用するのです」
その上海ガール達から見たらWendiさんは羨望の的です。2011年にBritish Vogueの取材を受けたWendiさんは、自分がCherry家にしたことについてたずねられた際、すべての質問に"Yep."のひとことで答えたそうです。
British Vogueとしては、絶大な権力を持つメディア王のRupert Murdoch氏の妻であるWendiさんに、黒歴史についてインタビューするのは彼女の急所を突くようなものだから、聞きにくさはあったでしょう。だけどWendiさんは黒歴史だとは思っていないのではないでしょうか。とことんドライなんじゃないかな。


シリーズ(4)に続く

 

Wendi Deng Murdoch(1)彼女がこんなにも気になる理由 - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(2)大都市・広州で動き出した運命 - マリア様はお見通し

Wendi Deng Murdoch(2)大都市・広州で動き出した運命

 

Wendi Deng Murdochという中国人女性は、1968年12月8日に江蘇省徐州市で鄧文迪として生を受けました。改名前の文迪という名前は文化革命を意味し、共産党への忠誠を示す意味でつけられることが多く、当時流行っていたそうです。

gate

 アメリカンドリームを語るうえで便利なせいもあるのでしょうか、中国の貧しい農村の出身という出自が独り歩きしていますが、色々ウェブで調べてみたところ当時の徐州市が本当に貧しい農村だったかまではわかりませんが、Wendiさん一家は現地ではどちらかといえば暮らし向きがよい家庭だったようです。

運命が動き始めた広州市 

3 Lampions in Guangzhou

Wendiさんの父親が広東省の広州市に転勤することになりました。そしてこの大都市で彼女の運命が動き出します。彼女の父親がまず広州市にうつり、少し遅れて家族がやってきます。そこでWendiさんはJake & Joyce Cherry夫妻に出会います。夫妻にとっては終わりの始まりで、Wendiさんにとっては中国を脱出するための翼を得る機会でした。

瞬発力と集中力

広州市では医学部に進んだWendiさんでしたが、Cherry夫妻に出会い英語の勉強をし始めて、そちらにフォーカスするために中退します。私の想像では熟考の末ではなくあっさりとドロップアウトを決断したと思いますね。
親の期待に応えるために常に120%のパフォーマンスを求められていたWendiさんのことですから、医学部でも優秀だったはずです。だけど彼女はあっさりと英語一本に絞った。中国から逃れアメリカに渡るために。チャンスが目の前を通り過ぎる前にばっと掴んで離さない瞬発力と集中力はすごいと思いましたが、彼女に関連する海外のメディアのコラムを読んで集中力では済まされないものを当時19歳だったWendiさんに感じました。

目標達成のための近道を見極める力

Cherry夫妻にはWendiさんを含む英語を学びたがっている若い女性達が大勢紹介されましたが、Wendiさんはその中でも突出していたそうです。私はこの部分まで読んだ時、彼女が当時既に何か光り輝くものを持っていたのかと思いましたが、その続きを読んで閉口しました。
彼女がどうして目立ったかというと、夫妻に紹介された際、ミセスCherryの前を思い切り素通りしてミスターCherryのみに挨拶をしたのです。このような顰蹙を買う行動も、彼女にはごくあたりまえというか、夫人に非礼を働いたという意識はなかったのではないでしょうか。もうこのチャンスを逃してはいけないという気持ちが強すぎて、夫であるJakeさんしか目に入らなかったとしか思えません。そして狙い通りJakeさんの懐に入りこみ、アメリカで学ぶためのビザのスポンサーになってもらうことができました。
欲しいものを手に入れるためには努力をするけれど、労力を注ぐ部分を見誤らない。それ以外の部分はあっさり切り捨てる。そしてなりふり構わない。
例えばエネルギーの量が10だとしたら「9はJakeさんに使ってJoyceさんには1でいいでしょ」という人。Joyceさんに可愛がられなくても、Jakeさんに気に入られればそれでいい。スポンサーになってもらうためには、決定権(=キャッシュをはじめとする経済力がものをいう)を持つJakeにさえ好かれればよいのだから・・・・。
自分のやりたいことをするために、目的地にたどり着くために、彼女はいかに少ない労力を費やして簡単にたどり着くか、またどのルートが近道なのかを見極める力がある人に見えました。品格とか真心とかそういう無形でわかりにくいものは彼女の優先順位においてうんと下の方にある。自分にとって有益か無益か、あるいは有害なのか。彼女が人を見る目についているフィルターはそれらだけをふるい分ける機能しかない。だからこそ目的地までのショートカットがよく見えるのです。

シリーズ(3)に続く

 

cantfoolme.hatenablog.com

Wendi Deng Murdoch(1)彼女がこんなにも気になる理由

アメリカで勉強するために力になってくれたアメリカ人夫妻の家庭をぶち壊し、妻を捨ててまで自分と結婚したアメリカ人男性はグリーンカード取得次第ポイ捨て。その後も男性の金や権力を利用して華やかな世界に上り詰め、The Wall Street Journal誌をはじめとする世界中のメディアを所有するRupert Murdochと結婚。さらにMurdoch氏と婚姻中にあのトニー・ブレア元英国首相そしてGoogleの当時のCEO、Eric Schmidtと浮気。その結果当然離婚に至りましたが、離婚後はロシアのプーチン大統領との関係が噂されるWendi Deng Murdoch。しかももう50歳ですよ。

そんなことをやってのける女性はいったいどんな美女なんだろうと思ったら・・・・

f:id:usmilitarybase:20181211021459j:plain

ちょっと拍子抜けしませんか?

そんな彼女が射止めたルパート氏がどのくらいすごいかというと;

  • The Wall Street Journalなどを傘下に収めるNews Coporation
  • アメリカの右寄りのメディアとして有名であるFOX News
  • The 21st Century Fox movie studio 

などを所有しているのです。これは彼がオーナーであるビジネスの一部で、他にも世界中に当時Rupert(ルパート)が所有する新聞社があります。新聞紙、TV局、映画配給会社・・・これらを所有しているということは、お金だけでなく大きな影響力や権力を持っているということがわかるでしょう。
「西洋人から見たら美人な東洋人」というフォローするのが精いっぱい。瀧波ユカリさんが描いた「臨死!江古田ちゃん!」という漫画に登場した隠れ猛禽というキャラを彷彿とさせます。可愛らしいうえに巨乳でぶりっ子で狙った獲物は必ずしとめるタイプが猛禽なのに対し、隠れ猛禽は「なぜあの子があんなイケメンを・・・?」と周囲が不思議に思うくらい地味なタイプ。Wendiさんは地味ではありませんが、すれ違った異性が振り向くような美女でもありません。かといって話術に頼れるほどの英語も話せません(彼女がブレア元首相のことをつぶやいたメモを見て、彼女の英語のブロークンぶりに驚いてしまいました)
だからこそ私はWendiさんのことが気になって仕方がないのです。
なぜ彼女は大物達を惹きつけることができるのか。

彼女の持つ磁力について、何回かに分けてシリーズとして書いていきたいと思います。

Wendi Deng Murdoch(2)大都市・広州で動き出した運命 - マリア様はお見通し

女の友情の終わり 共生できない花だった


どんな友情でも不協和音のようなものが聴こえてくる時はあります。自分が落ち込んでいて友人の幸せを喜べない時(その逆もしかり)、顔を合わせれば話が尽きなかった日々は過ぎ去り、せっかく時間を作って一緒にお酒や食事に行っても、むしろなんとか間を持たせることに必死になって妙な空気が流れるようになったり・・・。
だけどそういうステージを経て成熟していく人間関係もあれば、賞味期限が切れたのかあるいは魔法が解けてしまったかのように、ちょっとしたことが引き金になって終わってしまう場合もあります。

It_is_a_long_way


私はあることがきっかけで距離を置くと決め、それ以来10年疎遠になっている葉月さん(仮名)という女友達がいます。今更友達と呼ぶのも変でしょうか。彼女と出会ったのは互いにまだ学生で20歳の時でした。何をするにも一緒でお互いから刺激を受け、励ましあい、時に衝突もしつつ楽しい日々を過ごした友人でした。
私達が少しずつ互いに「あれ?」と思うところが出てきたのは、社会に出て2,3年経ってからのことです。私は仕事もそこそこやりがいを感じ、仕事仲間にも上司にも恵まれて、恋人もできて充実した日々を送っていました。そして葉月さんと積もる話をするために食事をしても、話がだんだん合わなくなってきたのです。
葉月さんは当時フリーターでした。仕事内容は電話のオペレーターや単調作業、キャバ嬢。彼氏の生活パターンに合わせるために、フリーターという形を選んだのです。彼氏を軸にして回る彼女の生活の中で、若さはどんどん消費されてゆく日々。葉月さんは当時だめんず好きでもあったため、振り回されている自分を楽しんでいるようにも見えました。

「私はマリアがしているみたいな普通に楽しい恋愛じゃ満足できない。私の彼はマリアの彼みたいにちゃんと仕事についていないけど、私が変えて幸せにしてあげたい」

「葉月は自分がまず定職について生活の軸が自分自身になれば、恋愛に依存しなくても済むようになるよ」

声を荒げることは二人とも決してありませんでしたが、淡々と棘のある言葉で相手を否定するようになってしまいました。私も葉月も互いにとって何が幸せなのかということをまったく尊重していませんでした。

私にとっての幸せは、精神的・社会的・経済的に自立して、愛する人達との時間を大切にすること。もちろん、この「愛する人達」の中には葉月もまだ含まれていました。
葉月にとっての幸せは、だめんずが自分に出会ったことによって変わること、更生することで自分の価値を認識することでした。
このように互いに幸せだと感じることはこんなにも違うのに、その違いを尊重できなくなっていたのです。こうなると互いの嫌なところがだんだん目についてくるものです。私は葉月が歩きたばこをしてそのうえポイ捨てするのが嫌いだったし、葉月はポイ捨てするのを咎める私の視線が嫌いでした。「私一人がポイ捨てをしないように気を付けたところで日本をきれいな国に保つことはできない」というのが彼女の口癖でしたから。

彼女とはどんどん会う頻度が低くなっていきました。不思議なことに葉月と会わなくなってもまったく寂しいと思わなかったし、そのことを悲しく思いました。
そして会わないことにより、心にかかっていた靄が晴れた気がしました。見て見ぬふりをしてきたものをつきつけられたのです。私達はもはや出会った頃の二人ではない。
久しぶりに葉月から連絡が来て、ノーと言えずに会う約束をしてしまった私。そしてその日、引き金は引かれました。葉月は既婚者に言い寄られていて、「誘われたからホテルに行った」と言いました。そして彼との情事の後にベッドの上でこう諭したそうです。
「私とこんなことをやっている時間があるなら、早く奥さんのところに帰ってあげるべきなのに」
私はこれを聞いた時、ああ、ついに終わったと思いました。やることやってから「奥さんが可哀そう」というのは、その言葉を口から発しながら妻に対する優越感を利用して快楽の余韻に浸っているようなものです。偽善者。遊び相手なら遊び相手らしく、妻の話などホテルの部屋で出さない女であってほしかった。

今振り返ってみて思うことは、私と葉月は共生できない花だったということです。互いに見た目も香りもまったく異なる花。時には両方とも根が腐りかけたことだってある。だけどその二種を並べてみると意外と面白く、華やかだったりする組み合わせもあります。残念ながら私と葉月は近くにたたずんでいるとなんだかしっくりこない花だった。ただそれだけのこと。

bud

こうして疎遠になり10年が経ちましたが、彼女が与えてくれた思い出の煌めきは失われていません。美化するつもりもない。互いに学生だった頃はすごく幸せだった。出会ったかの地では、まだつぼみだった私達。そして葉月は今もきっと美しい花をつけている。

まだ四人だった頃のDA PUMPについて語る

若い人達はDA PUMPというと「ああ、あのダサかっこいいU.S.A.っていう歌を歌っている人達ね」と思うかもしれない。既に脱退済みのメンバー・YUKINARIのことも「ライザップのCMに出ているイケメン」としか認知していないでしょう。だけどアラフォーの私にしてみればものすごくかっこいいグループなのです。特に人数が増えてわけがわからなくなる前の、メンバーが四人の時代。

 

実力も華もあったのに、メディアへの露出が遅れた理由

DA PUMPのことを知るきっかけになったのは、コンビニの店頭で立ち読みしたフライデーでした。そこにはグループのメディアへの露出が遅れている理由が書かれていて、「メディアに露出したらもっと売れそうなのにTVになかなか出てこないのは、ジャニーズ事務所が圧力をかけているから」ということでした。だけどどんなにあの帝国が圧力をかけても、女の子達は放っておきませんから既に話題性があるグループになっていたのです。
週刊誌で取り上げられていたのは、ISSAの誕生日を祝うイベントが行われて、大勢のファンが駆けつけている様子でした。写真を見て感じた第一印象としてはとにかくチャラく、だけど雰囲気が今までの男性アイドルグループと違うというものでした。メンバー全員がスーツを着ていたということもあり、ちょっと大人っぽく見えたからかな。

「どきゅーんずきゅーん」という耳に残るフレーズに惹かれ、初めてパフォーマンスを見た時の衝撃

上に貼った「ごきげんだぜっ!」という初期のヒット曲をプロデュースしたのm.c.A・Tでした。m.c.A・Tといえば「ボンバヘー」ですから、お世辞にもあまりスタイリッシュなイメージはありません。

だけどそのボンバヘーと同じくらいインパクトのあるどきゅーん、ずきゅーんという若干「死語だろ」みたいな歌詞に引き込まれて、歌番組で彼らをチェックすることにしたのです(当時は今のようにYouTubeですぐにPVを検索できる時代ではありませんでした)。
その歌番組で彼らの「ごきげんだぜっ!」のパフォーマンスを見た時の衝撃は今でも忘れられません。それまで男性アイドルグループといえば、なんかよくわからんフリンジなどがついたちょっと乙女な衣装を着て口パクが当たり前でしたが、DA PUMPはとにかく歌って踊る。そしてそのダンスがセクシーだったのです。「一所懸命練習しました」という感じがまったくせず、日本人には演出しにくいであろうストリートの格好良さがあった。

日本人には着こなせないであろうプリントのスーツに負けない四人

こうしてDA PUMPのファンになった私は、当然コンサートにも行きました。ステージから遠い席ではありましたが、彼らの格好良さを堪能することはできました。TVで見る以上にダンスが格好良くて、ちゃんと歌も歌って…プロならあたりまえなのだろうけど、もうとにかく見ているだけでエンドルフィンとアドレナリンが出まくるのです。そしてメンバーが着替えるためにバックステージに引っ込み、「そろそろバラードが来るな・・・・」と思っていたら、なんと彼らはゼブラ柄のスーツを着て登場したのです。
「そのスーツ、いったいどこで買えるんですか?」と私が今まで不思議に思ったのは「ミナミの帝王」で竹内力を見た時くらいでした。まさかDA PUMPまで・・・と思ったのですが、似合うんですよねぇ~。
そしてゼブラ柄のスーツに着替えて歌ったのはWithout Youというラブ・バラード。

Without you

Without you

  • DA PUMP
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

ISSAのソロの部分も、他のメンバーのラップの部分も、全員で歌うコーラスの部分も海から吹く風に運ばれてふわぁっと広がるようで、夢見心地にさせてもらいました。ちょうど日が落ちてくる頃にこの歌を持ってくるあたり、にくい演出だなぁ。

コンサート後の4人に遭遇

自分が行ったコンサートとはまた別の日なのですが、職場の近くの行きつけのお店で飲んでいたら、なにやらお洒落な男性達がぞろぞろと入ってきたのです。同席していた友人が「なんかああいう人達が入ってくるの珍しいよね。客層変わったねぇ」というほど、なんだかオーラのある人達でした。
そしてその団体が入ってきた2,3分後に明らかに一般人じゃないだろうという若い男性達が入店し、よく見たらDA PUMPの4人!!!!! 最初に入ってきたのはバックダンサー達だったんですね。よく考えてみればその日、そのエリアでDA PUMPはコンサートをしていたのです。
YUKINARIさんとSHINOBUさんはさっさとダンサー達が座る席の方へ行ってしまいましたが、ISSAさんとKENさんは私達のテーブルまで来ておちゃらけてくれました。テーブルには外国人女性も含まれていたから、多分面が割れていないと思って気楽だったのでしょう。二人ともすかした感じがまっったくなくて好印象しかありませんでした。

で、今はDA PUMP何人になったんだっけ・・・・。